しろうとが、ああだこうだと、いろいろ愚行錯誤(!?)しております。

2011年12月31日土曜日

今年の年越し蕎麦

先ほど、年越し蕎麦を食べました。


今年は2種盛りで、右がN在来、左が信濃1号。
ちょっと盛りが多すぎて品がありませんでした。
どちらも50メッシュ以上の粉で二八なので、打ち易く喉越しも良かったですが、最近試みている粗碾きに比べると優等生な食感でした。
ただし、蕎麦を噛みしめるとN在来の方がこれぞ蕎麦という風味を感じさせました。
今日まで迷っていましたが、これで来年度も在来種を栽培することに決めました。

それにしても、50メッシュ以上の微粉だけだと物足りないですね。
粒度分布のバランスがよければ、30メッシュくらいがいいのかもしれません。無篩いというのをされている方も居られるようですが、私の場合は「十年早い」でしょう。

皆様、良いお年を。

2011年12月30日金曜日

困りました

朝食後、家庭菜園用に借りている畑の持ち主に600g、同人誌の春の号に寄稿していただいた方に500g、2回蕎麦を打った。地主にはお歳暮に蕎麦を載せてお届けし、寄稿していただいた方には宅急便で明日の午前指定で発送した。どちらも二度目なので茹で方など説明は無しで、ねずみ大根を添えた。
ほかにもお送りしたい方があるのだが、宅配便で翌々日配達の地域だと、蕎麦が腐敗したり切れてボロボロになるのではないかという危惧が先に立ってしまう。案ずるよりも一度試行してみたらいいんですが。

明日は二男が帰省するので、彼のためにまた少し打つ予定。自分で茹でるので十割でいこうと思うが、打ってから茹でるまで5時間くらい時間差が生じるので粗碾きは無理だろう。
先日打った粗碾きの十割も当日は良かったが、余った一人前を翌日茹でたらみごとに切れました、(ーー;)
まだ、十割だからおいしいのか、粗碾きだからおいしいのか、甘皮も碾きこんだ全粒粉だからおいしいのか、在来の小粒種だからおいしいのか、まったく判断がつきません。
ですから、来年度、どの種を播くのか、それもまだ決まりません。困りました。

2011年12月28日水曜日

製粉が面白い

代休を消化するために早めに帰省した息子のために、昼食用に蕎麦を打った。妻と母は最近食傷気味であるらしいので、息子と自分の二人分のみ。
先日石臼碾きして30目の篩をかけたソバ粉を40目でもう一度篩いなおし、篩から落ちた40目以上を二八で打った。それでも60目や80目に比べればまだ粗い砂状の粉が混じっているせいか、加水率はあっさり50%を超えたが、ズル玉にはならず、それでいて結構薄く伸すことが出来、また切りも包丁に粘りつかずにきれいに細切りすることが出来た。
しかも、茹でてみると田舎そばの黒味は無く、かすかに鶯色した透明感のある蕎麦になった。製粉の際に、最初の碾き割りの段階で徹底的にそば殻を排除したため、ぬきみから碾いた蕎麦に似て来た。
30日と31日、あちらこちらにお届けする蕎麦を打つことになるが、宅配便で送るケースもあるのでほぼ今日のような二八、または九一で打つことになるが、甘皮を十分碾きこんであるので、風味はかなり保持できる。

ソバ粉に粗碾きが混じると加水率が多くなることを、最近、意識的に身を以って経験することが出来て良かった。
製粉会社や製粉所に製粉を委託したソバ粉や、直売所や道の駅などで販売されているソバ粉は60メッシュ以上の細かい粉が多いが、ああいうソバ粉と石臼であえて粗碾きも混じっている粒度分布の広いソバ粉とでは、加水率も加水の方法も異なってくる。
この頃、製粉が面白い。

2011年12月26日月曜日

一瞬のうちに探しているものが

午前中ずっと車を走らせていたが、どうも目が変で、以前もブログに書いたお宅の庭の踏み石となった石臼7個のほかに、とある石材店の工場の軒下に二個の石臼を発見してブレーキをかけ、少しバックしてそこを良く見るとやはり石臼だったので、車から降りて石臼のそばに歩いて行った。ほぼ同じ大きさの上臼と下臼で、目はやや減っている感じがする。
すると工場の人らしいひとが出て来たので、思わず、
「この石臼は売り物ですか?」と叫んでしまった。
「あ、おれ、ここの人間じゃないので、分からないです。この家、留守のことが多いしな」
いつもズボンのポケットに巻尺を忍ばせている私は直径を計測した。35cm。
たまたまこの道を通るので、いつか誰かいたら寄って訊ねてみよう。
さらに同じ集落を通過中に、庭に石臼が上下重ねて置かれているのを目撃。ただし、かなり稚拙な作りであるのが一目瞭然なので、ブレーキは踏まず。

それにしても、関心のあるものは自然と目に飛び込んで来るというのは、かつてオヤマボクチを探して山道を走らせている時にも経験したことだが、面白いものだ。
視力が鍛えられるというか、とにかく一瞬のうちに探しているものが目に入って来るのである。

2011年12月24日土曜日

30目のそば粉で練習

今日は妻が実家へ行くというので、蕎麦打ち開始。
慣れない人に十割を茹でさせるのは心配なので、先日碾いて30目で篩ったそば粉を二八で打ってみようと思い、6人家族なので内二八で1kg。
ちょっと粗いのが心配なので、ある方のアドバイス通り、40目で篩って残った30目と40目の間の甘皮を篩い出し、事前に加水量のなかから適量の水を分けてそこに漬けておき、40目以上の粉とつなぎの中力粉を混ぜ、水回しを開始し、そぼろ状になったところへ、水を吸った30目と40目の間の甘皮を混ぜ、更に水回しを続行。
ただし、やはり、60目くらいの篩を通ったものだと47%位の水で済むものが、粗い粒があるとそれでは足りず、55%くらいでもまだズル玉にはならず、延しに力が必要となった。
怪我の功名というか、そのおかげでややもすると包丁に切ったばかりの蕎麦が粘りついて踊るのだが、そうにはならず切りやすかった。
道具を出したついでに市内に暮らす弟のために外二八で600gを打つ。
こうして続いて打つと調子が出て来る。

それにしても、やはり篩は40目で留めておいた方がいいのかもしれない。ことに、自分だけで食べる蕎麦は30目でいいとしても、そうでない場合は40目とか60目。製粉所の粉に比べればこれでもまだ粗いのだけど。

そういえば、自作1枚目の小間板の枕の高さが2cmで、その後でもっと大きな2枚目を作ったのだったが、それは枕の高さが2,5cm。
たった5mmの差だが、2,5cmだとどうしても切り幅が広くなってしまう。
そこで、蕎麦打ち終了後、カンナで枕を削って同じ2cmに修正した。まだまだ切りが下手なので、今のところは2cmくらいがいちばんいい感じです。

そうそう、返しが終わってしまったので、早めに作っておかなければ。寒いし、これからは結構使うだろうから1,8ℓくらい作っておこう。

2011年12月22日木曜日

またまた、鶏なんばん

今日の夕食は、母親はばあさん仲間と外食、妻は低血圧でめまい吐き気ということで、ひとりさびしく(嘘々、ひとり楽しく)十割蕎麦で鴨なんばんならぬ、鶏なんばん。近所の家から時々、ダシ取り用の削ったカツオブシの袋を複数回いただいてたくさんあるので、しっかりとダシを取り、返しとあわせて味を調整し、下仁田ネギと鶏肉で温かい蕎麦にした。
ゆで立てだと温かくてもちゃんと蕎麦の味がしますので、おいしい。
妻には、お餅があったので寝たまま食べることが出来るように、焼いて海苔を巻いたのとインスタントのクリームスープを届けておきました。
おや、夜になったら治ったんですか。つくづく、夜型人間ですね。

2011年12月21日水曜日

2011年、極めて私的な回顧と反省

今年は私のソバ栽培歴でも記念すべき年だった。
昨年まではソバといえば当県農試が世に送った「信濃1号」を播種するのが当然だったが、今年は「信濃1号」の他に何と在来種を3種、計4種類のソバを4ヶ所に播種栽培した。
それはもうほとんど狂気の沙汰。
そしてようやく3種類の在来種を自分で石臼で碾いて、自分で打って、自分で茹でて、食べてみた。
その結果、どれもおいしいし、どれも微粉にすればつながりやすいが風味は弱くなり、粗碾きにすればつながりにくいが風味は強くなることが、うすうす判って来た。
となると、蕎麦の味の差が品種の差なのか、刈り取り時期や脱穀・乾燥・製粉の仕方の相違なのかが判別出来なくなって来てしまう。
それから、小粒であるがゆえにデンプン:タンパク比がタンパク寄りゆえに風味が強い在来種と、たとえばそれに対立する悪役としての改良種、その代表である「信濃1号」との風味の比較であるが、むしろ「信濃1号」には在来種の蕎麦を食べた時に感じる泥臭さは感じられず、むしろ洗練されてピュアな蕎麦の風味といったものを感じないでもない。ソバの風味ほどその感受が難しいものはない。
それにつけても思い出されるのは、旱魃でソバが大不作だった一昨年の「信濃1号」が、水回しの際に立ち上がる香りといい、茹で上げてざるの上から箸で手繰り上げた蕎麦から漂って来た「蕎麦の匂い」です。
蕎麦会の席で思わず蕎麦を摘んだ箸を持ったまま椅子から立ち上がり、「蕎麦の香りがする!」と叫んだ同級生M君。
そうそう、一昨年の蕎麦はほんとうに風味満点でした。と思えば「信濃1号」もまんざら捨てたものでもないような気がしてきます。
どうも蕎麦は品種だけではなく、その年の気候にも左右され、栽培の仕方、刈り取り時期、乾燥の仕方、製粉の仕方、蕎麦の打ち方などにも左右されるのですね。
ふう~、来年もがんばろうと思うのですが、来年はどのソバを播いたらいいんでしょう??

2011年12月20日火曜日

菜園の変わりもの、2種

もうすっかり片付いてしまって用事はないのだが、 通りがかりに自家菜園に寄ってみた。


すっかり枯れてしまったオヤマボクチのにぎやかな種たち。



そして緑茎系はすっかり凍み枯れてしまったのに、寒さに強いのか、未だに異様に元気な赤いルバーブ。

これから4月まではただただ凍みるだけで、ここに来る用事も野菜くずを捨てに来るほかには無く、運動不足が懸念されます。
今日はまたある程度まとまって芹が生えている場所も確認して来ました。25日頃に、年末年始用に必要なだけ採取しようと思っています。

2011年12月19日月曜日

石臼二題

先日、仕事であるお宅を訪ねた際に、先代の方が石材店を営んでおられたので、石臼の話題を出した。餅つき用の石臼はあったが、欲しいという人がいたので上げてしまったとのことで、碾き臼は無いという話だった。
そして私が、なかなか上下揃った石臼が無いと言うと、使わなくなった石臼を上下いっしょに置いておくのは縁起が良くないという言い伝えがあり、いっしょには置かない。そのためにやがてどちらかが行方不明になり、上下バラバラの石臼ばかりになるのだという。
ふうむ、初めて耳にする言い伝えですが、さて?

わが家の菩提寺がある場所はかつては安山岩の産地であって、その名残で今でも石材店が多いのだが、たまたま車でそれら石材店の前を通りかかると、墓石やら灯籠などの製品が陳列されている端や奥の方に、丸い円柱がいくつか置かれていることがある。材質は御影石やきめの細かい安山岩などと思うが、正確には判らない。
以前は気にも留めなかったが、石臼に興味を持ってから、その形が気にかかって仕方ない。
たとえばこの写真の2匹の蛙の台になっている石とか。



それから、この工場の軒下とか。ここは数が結構あります。


直径は目測だが30cmくらいから40cmくらいあり、高さも50cmとか60cmくらいある。それを眺めていると、正円の柱であるからそれを13cmとか15cmとかにスライスしてもらい、さらに下臼用に中心に2cmくらいの丸い穴をあけてもらえば、そのまま石臼を自作出来そうな気がしてくるのです。
ただし、どうもその円柱がどうも墓石の納骨する部分を円柱形にくりぬいたものであるような気がして、石材店のひとに少々声がかけにくいのですが、おそらく不用品であろうと思うので、一度、意を決して訊ねてみたいと思っています。

2011年12月18日日曜日

来年度どのソバを播くか

今年栽培したN在来を一度碾き割って、ソバ殻を篩って風で飛ばして98%くらい除去して、残った大割れ、小割れなどを手製の電動石臼で一回碾きをし、それを30目(約25メッシュ)の篩にかけたそば粉で、十割、水のみの加水で打ってみました。

写真が下手なせいか、こうして見るとあまりおいしそうに見えませんが、噛むと紛々と味、香り、甘みが広がって来て、小学生の頃に父の生家に行ってはご馳走になった蕎麦の味を思い出しました。
粗碾きはすすっても噛んでもおいしい蕎麦ですが、もう少し細くきれいに切れたら、すすっただけでも蕎麦の風味が口の中駆けめぐることでしょう。
夏から秋の間、汗と埃にまみれて傍目にはバカかと思えるような苦労をしましたが、いやいや、今夜はしあわせです。


あ、接写してみたら、結構白い粒々が見えますね。なるほど、この粒々な感じが30目(24メッシュ)以内。よく目に焼きつけておきます。

蕎麦打ちは下手なので、先ずはこれくらいの粗碾きで練習を続けてみます。
ちなみに、この粉1kgを60目の篩にかけてみたら、60目より粗い粒は180g残りました。つまり60目から30目までの間の粒子が全体の18%ということですが、これが、多いのか、まだ少ないのかは粗碾き蕎麦初心者なので判りません。
やはり、粗碾きが混じると加水量が多くなり、どうしても固めになってしまい、苦戦しました。もうちょっと薄く、細く切りたかったのですが、固くて薄く伸せませんでした。そのためか、蕎麦自体もやや固めでした。もう少し柔らかく、それでいてコシがあるように打たなくてはいけません。加水収量の時点では適正な吸水だと判断しても、少しこねている間、それからまとめあがった時点で意外と固くなってしまいました。喩えはよくありませんが、急に態度が冷たくなった女性みたいな感じ? ^_^; 次回はもう少し柔らかめにしてみよう。
あるいは、ズル玉気味に加水して、ひとつにまとまったらビニール袋に入れて数分くらいおいて粗い粒への水の浸透を待ち、それから練りに入った方がいいかもしれません。十割は捏ねないといいますが、ほんとうに捏ねるというより練るという感じでよさそうです。力を入れて捏ねなくてもまとまって来て艶も出てきます。

とにかく、この冬の間に回数を打って粗碾き蕎麦のこつを身につけなければ。
粉は十分すぎるほどあります。

道具を出したついでに、これからT在来とK在来も300gずつ、打ってみます。こちらは60目で篩ってしまったので、もう少し楽に打てると思います。
自分で茹でて自分で食べるというのは、じっくり食べ比べすることができずタイヘンです。
いずれにしても、打ち比べして、食べ比べして、それで来年度どのソバを播くか決まりますので緊張します。





引き続いて、T在来・碾き割後電動石臼にて2回碾き・60目で篩ったそば粉を300g。加水率50%でかなりのズル玉になったが、伸しやすい。
やはり、微粉に近いほど加水は少なくなり、粗いほど多くなるんですね。

さらに、K在来・少量なのでいきなり玄ソバのまま電動石臼(1分間15回転)で2回碾き、40目で篩ったそば粉を300g。加水率56,66%でも延しに入ったら固くて慎重に延すが、あまり薄くはならず。

左・T在来60目(48メッシュ)   右・K在来玄碾き40目(32メッシュ)

T在来60目

K在来、玄碾き40目

食べた感想は、T在来は苦味・えぐみが強いというデータを見て期待していたのだが、その割りに平凡というか、決して不味い訳ではないがおとなしい。これは多分、60目で篩ったのとひき割りも含めると3回製粉機と石臼を通っているため風味が落ちたのかもしれない。
K在来は玄碾きのせいでそば殻が目立つが、在来種のソバの花の蜜の匂いを思い起こさせるような独特の臭みを一瞬だけ感じた(幻想というか幻臭?)。噛むと味と香りは結構ある。
結局、本日強行して3種も打ったなかで、最初の碾き割り後1回石臼を通して30目で篩ったN在来がいちばんうまかった。
と考えていて、うまかった順番は30目、40目、60目と粗い方がおいしいという結果になってしまっているのに気がつきました。
粗碾きで、しかも出来るだけ石臼を碾き割後1回通すだけの方がおいしい、という感想。

2011年12月17日土曜日

今日碾いたそば粉

製粉の道具を倉庫内に広げてしまったついでに、自分のN在来も20kg碾いておくことにした。そうすれば3月頃まで好きなだけ蕎麦が打てる。
製粉機で割れを作り、ハナ粉を篩い、そば殻を排除してから、自作電動石臼で一回碾きをめざした。ただし、いつもの60目(約48メッシュ)ではなく、もう少し粗い篩いでなければ一回碾きはとても無理なので、石臼のホッパーいっぱいにすると一時間は自動運転していてくれるので、その間に篩を買いに走った。めざす篩の棚の前に立つと、尺二寸(36cm)の40目、30目が並んでいた。すでに尺二寸の100目、80目、60目、17目と、七寸(21cm)の40目、60目、100目を持っているので、40目も30目も欲しいと思ったが、一度に二つ買うのもためらわれ、悩んだ末に30目を購入。30目で篩ってうまくつながらなかったら二八にすればつながるだろうし、それから40目を買ってもいい。
ということで、30目を買って帰宅。早速、石臼で碾けたものを30目で振るってみた。すると、ほとんどが篩いを通って落ちて行き、篩上に残っているのはそば殻少々と紙のようにペラペラになった甘皮が少々残るだけで、これはもう捨てればいい。60目、80目になれば手で篩うのはかなり困難で、そのために電動篩い機まで作ったのだったが、30目だと尺二寸を径の合うプラスティック桶の中に嵌め込んで両手で揺するだけで、さあーっと篩い落ちてしまい、電動篩い機は不要である。
これまで、そば粉が粗いとつながらないという先入観のために80目や60目で篩うことしか考えていなかったが、なーんだ、30目でも十分いいそば粉になるじゃありませんか。目からウロコが落ちました。
昨日の依頼された製粉のように、一番粉、二番粉、三番粉などと3回も碾くよりは、やはり一回で碾いた方が粉に加わるストレスが少なくていいに決まっている。

ということで、割れを作った後の本碾きは1回で済むことになり、ほぼ狙い通りになった。指先で粉を摘んで舌の上に載せてみると、おおおおおおお、やはり製粉の仕方でこんなに違ってくるのかと驚いた。すごい風味です。微粉から30目ぎりぎりの粒まで結構粒度の分布は広い感じで、手で握ってみてもそう砂のようなざらざらした感じはしないで、しっとりしている。
今日碾いたそば粉はかなり期待して良さそうです。

だとすれば、あまりソバの種類にこだわらなくても、製粉の仕方を工夫する方がよいのだろうか。いやいや、品種の選定や刈り取り、脱穀、乾燥まで含めた耕種もおろそかには出来ないし、玄ソバの管理保管や製粉、蕎麦打ち、どれもベストな方法を探して行って、総合的に、ほんとうにおいしい蕎麦をめざすべきだろう(なんちゃって)。

2011年12月16日金曜日

利き蕎麦ならぬ、利きソバ粉

午前中、仕事で出かけている間に、Tさんの知人でやはり蕎麦を打つYさんから電話があったといい、電話番号が書かれていたので、こちらから電話してみた。Tさんから事前に話はあったが、ソバを製粉してほしいということだった。毎年製粉を依頼している製粉会社が、小口の製粉を交換方式にしたり、量が少ない場合は割高になるように改悪されたので、それを嫌ってのことだった。
玄ソバが37~38kgくらいあるというが、素人が空いた時間に製粉するには20kg以内がいいのでその旨伝えると、とりあえず1袋、18kgを軽トラに載せて持って来た。
それで、午後になってとりあえず磨きだけしておこうかと循環式精米機にかけたが、磨きあがってピカピカ光っているはずの玄ソバの顔色がはなはだよろしくない。異様に光が鈍く精彩を欠いているのである。
ひょっとするとこれは、今年収穫されたソバではないのではないか、とピンと来た。
そのまま碾き割って、ハナ粉を篩い出しておいて、それから唐箕にかけてそば殻と割れを分離。続けて製粉機にかけて一番粉を採ってみた。一番粉はもともとサラサラきしきししているので良く判らないが、どうもかなり乾燥している模様。
(こういう時に水分計があればいいのだが、来年以降、余裕があったら買い揃えたい)
それから一番粉を採った残りを電動石臼にかけたが、ホッパーいっぱいにして一時間くらいは自動運転させておいて、補給と篩いをつづけながら碾きつづけ、先ほどようやく碾き終えた。二番粉を指先で摘んで舌の上に載せてみた。やはり水分が少なすぎて、口の中の水分が粉に奪われてしまい、ソバの風味が薄い。
三番粉を碾きはじめ、また指先に摘んで舌の上に載せてみた。ようやくナッツのような風味が感じられたが、それにしても口の中の水分が奪われて、それから風味が立ち現れるので妙なタイムラグがあり、今年のソバの甘皮に比べれば風味は6割くらいかもしれない。
私が自分でそば粉を碾いていて、いちばん楽しいのが、この三番粉、つまり甘皮の部分の芬芬たるナッツのような味と香りをこうしてそのまま味わう瞬間だ。
そうそう、自分で粉にしてみないと、一番粉、二番粉、三番粉の違いなんて判らないだろうけど、これ、結構大事なことかもしれない。いわば、利き蕎麦ならぬ、利きソバ粉である。

それにしても、これは間違いなく「昨年の玄ソバ」、あるいは間違っても「乾燥過度な玄ソバ」であろう。
Yさん、なぜ、「昨年の玄ソバです」と言わずに置いて行ったのだろう。隠したって判りますよw。
とはいえ、こういうそば粉はどんな蕎麦になるのだろう? 
ちょっと結果を知りたくないような、知りたいような。

2011年12月14日水曜日

先ずは40目くらいで

年末年始を控えて少し倉庫の中を整理する必要があったので、並行して石臼でK在来を玄ソバで550g碾いた。採種用で1800gしか収穫できなかったので、これくらいしか粉に出来ない。ほんとうに試食用である。
量が少ない上に超小粒で碾き割りするのも面倒なので、直接、玄から碾いた。殻取り以外の精選用の篩を40目しか使わなかった。そのせいかホシというか皮の砕けたものがいつもより多い(脱皮機というもの、何とか自作できないだろうか……ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )アホ~
やはり碾き割りしてそば殻を排除してから石臼にかける方が良い。

一回ではうまく篩う自信がなく、二回碾いて395gの粉が取れた。歩留まりの多いソバ粉、嫌いではないが、歩留まりは71,18%でちょっと多すぎ。

40目だと30メッシュを少し越えているはずだが、砂のような感じはするものの超粗碾きという感じではない。やはり30目(24メッシュ)の篩も欲しい。大量に製粉する時には使わないで、自分用に粗く碾く時だけ必要なので、安く小さい7寸(21cm)の篩でいい。
ひょっとすると殻取り用の20目(16メッシュ)でもいいのかな? 水さえ吸わせればいけるようなきもするのだが、前回は見事に失敗した。
まあ、先ずは40目くらいで修行してからです。

2011年12月13日火曜日

大いに迷う

晴れていたので、来年度の種を選別するためにN在来を塩水選してみた。
それでもルーペで観察するとその形状も均一ではなく、大きいの小さいの、尖ったの丸みを帯びているもの、こんなに変化に富んでいるものかと驚いてしまう。これではまた手で選別しなければダメじゃないかと思える。
それから、手早くと思ったが結構吸水してしまうもので、だいぶ膨らんでしまったように見える。また何日か天日乾燥しなければならない。

しかし、こんな雑な選別方法ではダメかもしれない。むしろ、50粒とか100粒くらい、形質の似た種を拾い出し、それを食用とは別の場所に隔離して栽培する方法の方が良いのかもしれない。
と同時に、そういう作為無しで雑多な形質のまま作り続けてゆくのもひとつの考えだし、と大いに迷う。
第一、まだT在来とK在来を蕎麦にして食べてみてないのだから、ほんとうは来年度の主力がどれなのかさえ決まっていない。

2011年12月12日月曜日

もっと粗めに碾いてもつながる?

どうやら凍っていた土が融けたらしいので、午後、Tさんのトラクターを借り出して、N在来を栽培した花園1,2,3号地をもう一度耕した。11月下旬に一度耕したが、毎週末に雨が降るような秋だったので土の水分が十分すぎて雑草が枯れなくて青々と復活再生していた。このままにしておくと春の早い段階から雑草が勢い良くなりそうなので、もう一度耕して越年しそうな雑草を根絶しておくのが目的。
これで来年春までトラクターを借りることはないので、Tさんにお礼をしなければ。

それから来年度のために数箇所、蕎麦栽培の適地を探したが、標高の高い高冷地はレタス、キャベツなどの結球野菜の栽培が盛んで残留チッソが多く、ソバが徒長、倒伏しそうでOUT、また山奥の耕作放棄地はソバ栽培地としてのロケーションはいいのだが、鹿とイノシシが多くてOUT。イノシシはともかく、鹿は収穫間際に集団でやって来て、ソバの実をバリバリ食べてしまうので、落ち着いてソバを栽培できない。結局、案外、市街地に近い耕作放棄地が候補地に上がってくることになるが、ソバ畑として周囲のロケーションは悪くなる。ロケーションでソバを栽培するのではないから、ある程度は仕方ないか。

蕎麦を知人宅に届けるために一週間の間に2回ほど続けてN在来で蕎麦を打ったが、やはりこれまでの信濃1号よりずっと強い粘りを感じる。
ということは、自分用のそば粉は「もっと粗めに碾いてもつながる」ということではないか。
この冬は、粗碾きの粉を碾いて打つ研究をしてみよう。

2011年12月10日土曜日

寒!


今朝7時過ぎの浅間山です。


この寒さが影響した訳ではないだろうが、今日の午後になって「ネットワークケーブルが接続されていません」と表示されて、インターネットに接続できなくなった。
LANケーブルがLANポートにきちんと差し込まれているにもかかわらずである。
しかも妻のパソコンや私の古いデスクトップはちゃんとつながっているので、このパソコンにだけ問題があることということです。
LANケーブルのどこかが断線したかと、別の二本のLANケーブルにも差し替えてみたがつながらない。どうもLANポート自体に不具合が生じているらしい。
再起動やら、静電気の排除など、いろいろ試したがダメだった。
仕方なく、USB・LANアダプタというものを購入して来た。一方がUSB、他方がLANポートという形のアダプタで価格1980円。
一応、CD-Rでソフトをインストールしてこのアダプタをハードとして認識させ、さっそくLANケーブルをUSBポートから接続した。
おお、ネットにつながりました。
また、このXPパソコンが生き延びました、(^_^.)

2011年12月8日木曜日

この固く気泡の多い石で

昨日、神保町の古書店より届いた、みわしげお著「石臼の謎」という本を先ほどまで読んでいて、読了した。
この本はまず1975年に初版、1977年に新装版、そして1994年に版元の名が変わって「増補 石臼の謎」として発行されている。たまたま私が入手したのは1977年の新装版である。Amazonのマーケットプレイスに5冊出品されているうちの1冊は1977年版の増補であるらしいが8000円である。出来れば増補の方が欲しかったが、神保町の古書店のは2500円であったので価格に負けた。
ただし、一応これだけの知識を得ておけば今後の石臼捜索や目立ての際には大いに役立つ。
そろそろ放置したままの33cmの石臼のすり合わせ作業も再開したいとも考えているので。
それにしても今日も用あって妻の実家に行ったが、↓この33cmの下臼の相手である上臼、どこかに無いかな。



この地元の安原石よりずっと固く気泡の多い、どこ産か判らない石臼でソバを碾いてみたいのですが、相手の上臼が無いことにはどうも。
別の臼でと加工を始めたのですが、すり合わせとふくみの調整が、難しくて放置していました。

2011年12月6日火曜日

過度の期待はしない


一昨日ネットで注文した本が、本日配達された。あるいは新本ではこの一冊が最後かもしれない。定価1260円だが、古書がすでに1980円と2890円。

早速読み始めたが、どこか理系のひとの文章は読みにくい。
もう一冊、明日にも同じ著者の本が届くはずだが、必ずしも私が知りたいことが書かれているとは限らないので、過度の期待はしないようにしておこう。
やはり自分で試行錯誤してゆくほかないのだろう。

2011年12月4日日曜日

これでいいのかな

朝のうちにN商事のIさんに約束していた蕎麦を1kg打った。午後3時に受け取りに来る約束だが、他の作業のため、早めに片付けた。
その後、一昨夜パンクしたままずっと放置してあったタイヤを外し、そのついでに、3台のタイヤをすべてノーマルからスタッドレスに交換。空気圧を調整するためにコンプレッサーを出したので、そのまたついでに自作の電動石臼とか電動篩い機とか、製粉関係の道具をエアで掃除。篩なども洗うと厄介なのでエアで吹き飛ばしておく。しかし、エアコンプレッサーでの掃除はただ吹き飛ばすだけなので、自分や周囲の物に粉が舞い散って、これでいいのかな、(ーー;)

石臼に関する本を探していたが、なかなか見つからず、たまたま見つかると7000円、8000円といった価格で手も足も出ない。
その上、古書しか無いと思っていたある本がショッピングサイトに新本の在庫があって、そんなはずはないとは思ったがオーダーをぶつけてみたら、案の定、数日してから在庫がありませんというメールが入った。めげずに他のサイトを検索したら、また新本の在庫ありの常時があって、しつこい性格なのでまたオーダーしてみた。すると今日、「ご注文いただいた商品が、予定より早くお届けできることになりましたのでお知らせいたします」というメールが着信。まさか!! 本当にそうだったらうれしいのだけど、さて???

2011年12月3日土曜日

昨夜の反省、今年の反省

昨夜の蕎麦会は、女性二人男性四人だったが、1,2kg打って(一人前を家に残して)生舟に入れて行った蕎麦をすべて食べ終えたので、まずまずほっとした。
アルコール無しの清く正しい蕎麦会でした。それでは盛り上がりに欠けるかな思っていましたが、猛烈な寒さだったので熱い冬瓜のあんかけが好評だったし、蕎麦を中心に会話も弾み、まずまず楽しい蕎麦会になりました。
ただし、勝手知らない他人の家のキッチンなので、大きな鍋があると聞いていたのにそれほど大きくも無く、うちのガス台は火力が強いと言っていたのに、いざ点火してみたら我が家のガスレンジより弱くてなかなか沸騰してこないのには参りました。かといって一人前ずつ6回茹でるのも面倒なので2人前ずつ茹でましたが、ちょっと苦しかった。
しかも茹でてみると思ったより麺が太かった。いちばん太いのはどうも2mm近くあったのではないか。
いつまで経っても切るのが下手のままなのは、本職のように毎日切っていないから仕方ないかもしれませんが、やはり1,3mmくらいの、太すぎず細すぎない蕎麦をつるっと口の中に入れたいです。
やや太いのが玉に瑕でしたが、のど越し、コシ、も先ず先ずで、風味もまあ欲を言えばきりがないというか、あまり風味を求めると苦味やえぐみも生じてしまうので、まあ、こんなものでしょう。10月2日だか3日の寒気でソバの葉が部分的に凍みたことがあったので、今年の蕎麦に特上の風味を求めるつもりはありませんが。
どうも旱魃で不作だった一昨年の蕎麦の方が風味が強くておいしかったような気がします。実(種)を付ける作物というのは、素人考えですが、ひょっとすると実入りの頃には栄養状態が100/100ではなく、むしろ70/100くらいの方がいいのかもしれない。ソバというのは無限花序で栄養成長と生殖成長をある期間並行して行っていますが、末期にはやや栄養が切れて赤すねになる方が生殖成長に傾いて、充実した種子を残すことに集中できるのではないか。ふふ、ソバたちから見れば、人間の勝手な考えでありますが、そういえば、トマトなども水分や栄養分を抑制した方が甘く味のあるトマトになるということだし。

二十時頃に解散となったが、車に乗って走り始めてすぐに右後輪のタイヤがパンクしているのに気づいた。気づいたが、気温が零度近くまで低下していて寒いので、そのままそっとずるずる家まで走らせて帰宅。タイヤはの処置は翌日ということで、そのまま家に入り、そして眠った。
そして今朝、目覚めたら何と舌の先に口内炎が出来ていて、朝食を食べても痛い、喋っても痛い
。何だ、ひとにソバをご馳走してそのお返しが口内炎とは神様もひどいじゃないですか。
そういえば「試して合点」とかいう番組で口内炎には塗り薬より嗽薬が効くというのを見た記憶があったので、嗽薬で嗽をし、口の中を漱いでみた。すると、ほんとうに効いて痛みも薄くなり、赤味も薄くなって来た。よかった、喋っても大丈夫。

2011年12月1日木曜日

いよいよ、下手の蕎麦好き

夕方、明日の蕎麦会の段取りの打ち合わせのためTさん宅へ。話しながら窓の外を見ているとちらちら雪(霙)が舞っていた。天気予報に当地域深夜に雪ダルマのマークがあった。まだノーマルタイヤなので困ります。
自分でも蕎麦を打つといっていたTさんだが、結局その気は無さそうで私が1kgほど打つことになった。辛汁も私ということになったが、返しを作ってあるので出汁をとるだけ。Tさんは相変わらず「てんぷら」と言っているが、私は冷たいざる蕎麦にてんぷらは不要。
お酒無しの蕎麦会にてんぷらだけじゃあまりにさびしいので、ふと物置に冬瓜が一個転がっているのを思い出し、冬瓜のあんかけ・柚子風味を作っていこうと思った。いい干しえびが無いのでひき肉のそぼろあんかけ。
蕎麦はTさんが二八党だし、他の客に蕎麦にうるさい人もいないようだし、ひとの家のキッチンで十割を茹でて失敗するのも嫌なので、当然二八とする。信濃1号は製粉したものはすべてひとに上げてしまったので、自分用のN在来。

そういえば、しばらく前に16目で篩ったかなり粗いのが混じった十割を試みてみごとに玉砕したが、あんな感じの粗碾きを二八で打ってみたら結構いけるかもしれないと、ふと思った。
早く、試してみたいが、そのためにはまた石臼で少量を碾かなくてはならない。日曜日、仕事は休みだが、Iさんにも二八蕎麦を打ってあげることになっているので、どうか。

2011年11月30日水曜日

発芽フェチ

昨年も同じことをしたが、妻がキムチの材料に芹を購入して根の部分を捨てたので、拾って小さな器にさして水を入れておいたら芽が出て来て茎や葉がぐんぐん伸びはじめた。
実は芹のてんぷらで蕎麦を食べるのもおいしいのだが、それは暖地で栽培された芹よりも、寒くて伸びない地の芹の方が風味が強くておいしい。しかし、その地の芹もやすやすと採ることが出来ない時代になって来た。あちこちに自生していた芹が、昨今直売所流行で乱獲されて見あたらなくなってきているのです。

町内のひとに「キクイモ」を頂戴したので、母親が「福神漬」を作った。大根、にんじん、ヤマゴボウ、キクイモ、レンコンなどで結構おいしく出来たので、目下一人暮らし中のTさんに少し届けに行った。近所のMさんにお手伝いしてもらって野沢菜洗いの真っ最中だったので、ちょっとだけ立ち話。すると「2日の蕎麦会」という。そうっだった。二度も延期されたので忘れていたが、2日は土曜日ではない。どうもTさんが2日は土曜日と勘ちがいして連絡してしまったらしい。
明日の午後打ち合わせをしたいという。お酒無しの蕎麦会だというので、打ち合わせの必要はあまり感じないが、什器とか、少しは確認しなければならない。
最初、収穫祝いと言っていたが、お酒抜きで収穫祝いは変でしょといったら、ただの蕎麦会になった。まあ、蕎麦そっちのけで延々と飲んだくれられるのも困りますが。

夕方、スーパーマーケットへ行って小麦粉(中力粉)3kg入れを購入。前回購入したものがまだ残っているのだけど、うっかりいつもと違うメーカーの「県内産小麦100%」というのを買ってしまい、どうもそれが何となく気に入らないので、以前から使っている原産地表示の無い(多分アメリカ産)の中力粉に戻すことにしました。どうも国産や県内産といった地粉の類はグルテンが弱く蕎麦のつなぎには向いていないのかな。

2011年11月29日火曜日

種フェチ


変な趣味だがルーペでソバの実を見ていると楽しい。
コンパクトデジカメでは、ソバの実を上手に接写できない。これくらいが限界。
磨きをしてない玄だったので、萼やら何やらも写っている。

2011年11月28日月曜日

今年度ソバ栽培総括・冷静編



今年栽培した4種類。個人が4種類もなんて馬鹿げているが、曲がりなりにも交配を避けて4ヶ所に分散して播いた。
しろうとのデジカメではこれが限度。
それにしても右から二番目、小さいなあ。ちなみにいちばん左側が「信濃1号」。
来年は2種類にしぼりたいが、試食が遅々として進まず。
粒の大きさは結局はタンパク質とデンプン質の比率の問題に過ぎないのかもしれなくて、だとすれば、碾き方と篩い分けあるいは一番粉、二番粉、三番粉といった粉の混合比によって風味をコントロール出来るのではないか。
と考えれば、品種にこだわるよりも、むしろ、刈り取りと乾燥の仕方、あるいは製粉の仕方を研究する方がいいのかもしれない。
信濃1号とN在来はもう5回くらい蕎麦にして食べてみているが、実は今年の蕎麦、不満である。甘皮の緑が薄い。それとパラレルに風味も薄いのだ。
来年度は本気で、刈り取りのタイミングと乾燥の仕方について、いろいろ試してみよう。

(昨夜検索してみたある県のソバの乾燥に関する文書に、常温よりも30℃の通風乾燥の方が風味と甘皮の緑色が良いと書かれていたが、本当か。青味を残すなら、薬草の乾燥のような陰干しがいいのではないかと思うのだが、今年、試してみるのを忘れてしまった)

2011年11月26日土曜日

今年度ソバ栽培総括・憤怒悲嘆篇



午前中、Tさんからトラクターを借りてN原のソバ畑を耕してきれいにして来た。
枯れたソバの茎がバリバリと音を立てて土の中に鋤き込まれ、姿を消してゆく。
これで、今年の狂乱怒涛のソバ栽培は終了である。

この畑で、Tさんといっしょに四回ソバを栽培してきたが、来年はもうここでは栽培しないことに決めた。
ソバ栽培の技術のほとんどをこの畑でTさんに教わり、また自分で考えながら身に着けて来たので、もうここでソバを作らないとなると感傷的にならざるを得ない。初めの二年は、アルツハイマー病で今は特別擁護老人ホームに入所しているTさんの奥さんの姿も畑にあった。どこかに行ってしまわないように、Tさんはトラックの助手席に奥さんを乗せたまま、ロープで車のドアを縛って播種作業をしたのだった。
「Kさんは何の歌が好き?」
Tさんの奥さんは数分置きに同じ言葉を繰り返した。
私は問われる度に「石原裕次郎の赤いハンカチ」と答えた。
あまりに同じ質問をされたので、その度に異なる答えをするのが面倒で横着をしたのだったが、たまに気紛れで別の歌手の別の歌を口にすることもあった。するとTさんの奥さんは暗い顔をして沈黙してしまうので、私はちょっとだけ自分を悪い人間だなと思うのだった。

このN原でのソバ栽培はTさんとの共同栽培であり、余剰の分はふたりとも製粉会社に売って、私はといえば電動石臼などのモーター購入資金など、製粉にかかわる機材の整備に充てて来たのだった。

しかし、今年度より始まった農水省のソバなど畑作物への戸別補償制度によって、昨年まではkgあたり350~380円だった買入価格が、製粉会社は、戸別補償で市町村から出るであろう金額の概算金であるkg当たり200円を差し引いて、kg200円という不条理な買取価格を提示したのだった。
そのことに憤慨し、私は来年度からは自分の分以外は栽培しないことに決めた。

戸別補償を申請してソバを栽培したひとは、それでは何円になったのだろう?

戸別補償を申請しなかった、われわれのような趣味的栽培者や、自家用に栽培して余った分だけを売りに行く高齢者などは、1kgたった200円で売り渡さざるを得ない。
そうやって安く玄ソバを買い取ったからといって、その製粉会社のそば粉は相変わらず1kg袋を昨年と変わらず1500円、1600円で販売しているのである。
何だ、ソバの戸別補償とはソバの自給率を上げるため、農家のソバ栽培意欲を増すために出されるのではなくて、製粉会社を儲けさせるために創設されたのでしたか。
何だかこの製粉会社が、悪代官と結託して暴利をむさぼる時代劇「水戸黄門」に登場する悪徳ソバ粉問屋みたいな気がしてなりません。
手刈りして人力で脱穀してって、江戸時代と変わらない非効率な栽培をしているんですから、仕方ありませんか。
でも、素朴に採算が合わないソバを作り続ける零細ソバ栽培農家と、素朴に蕎麦が好きで蕎麦を食べられるひとの間に、こんな業者が存在してひとり肥えていることに抗議して、私は来年度から自分が食べる以外のソバは作らないことにします。
でもそれだと残間里江子さんに揶揄された「蕎麦打ち男」に成り下がるっていうことなのかもしれなくて……それも嫌だなあ……とほほ……ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナョ~てば。

2011年11月25日金曜日

ソバの種選別開始

そろそろ、花園1,2,3号地で栽培したN在来から来年度用の種を選別しなければならない。3号地の4通りに小粒なものばかり選別したものを播き、別に刈り取って脱穀し、別の紙袋に入れて置いた玄ソバがあるので、そこから選別する予定だが、収穫したままでは萼などが付いていて選別がしにくいので軽く磨きをかけた。
これを冬の間、夕食後にでも少しずつ選別する。裸眼では判別が難しい年齢なので大きめの拡大鏡を使っての作業。ただし、今年は10月2日だか3日に霜害というより凍害に遭って葉が枯れたことがあり、そのために刈り取りを予定より1週間も早くしたので、黒化しない実や、充実していない実が多い。だから余計に選別が必要ということになる。
訳あって、来年度からは自分が食べるだけのソバしか栽培しないことになったので、多分、自分用にはこのN在来か、T在来、K在来のどれかを栽培してゆくことになるだろう。そういえば、まだT在来とK在来は試食してないのだった。Tはすでに1kgほど粉にしてあるが、Kはまだ粉にもしてない。何といっても収量が1,8kgしかないのだから、多分、複数回試食するわけにはいかず、一回で判断しなければならない。先ずは明後日にでもT在来の方を300g打って試食してみたい。

そういえば、Tさんに種を上げた「ねずみ大根」があまり辛くないという。昨年私が栽培したものを上げた、あれに比べて辛くないのだと。
そうそう、うっかりしていました。「ねずみ大根」だけでなく、辛味大根はあまり肥えた土壌には向いていないし、普通の大根を栽培する感覚で肥料を撒いてはいけないのでした。そうすると大根は大きくなるのですが、辛味は薄くなります。
そういう私も実は自家菜園の総太り大根の隣に播いてしまったので、多分今年は辛味が薄いのかもしれません。むしろ、花園1号地の南の端の砂や小石混じりの場所に無肥料で播くべきでした。

2011年11月24日木曜日

蕎麦について考え実行してみるひと

ソバの種を播くことから石臼による製粉、蕎麦打ちから食べるまでを一貫して探求されている先行者のブログを、三晩かけて全記事を読み通した。
種まきから蕎麦を打って食べるまでの全工程について考え実行されていて、参考になることばかりが書かれている。
私も、こんな風に、蕎麦について考え実行してみるひとになりたいと思う。

育種まで視野に入れた次年度の種の選別の仕方といい、蕎麦の香りへのこだわりといい、その涙ぐましい努力に敬服したが、自分のみょうちくりんに蕎麦狂いな姿も重ねて半ば同化し、身につまされながら読み進めた。
私も「風味」のある蕎麦を食べたいがために、あえて何ともバカバカしいソバの栽培を始め、親戚から古い石臼を奪取してモーターを着けたり、夏場に冷たくしめた蕎麦を食べようとして見事に失敗してずるずるな蕎麦玉をこっそり生ゴミ入れに棄てたりして、傍目には風車を敵と見紛って突撃するドン・キ・ホーテにしか見えない。

蕎麦の香りが甘皮にあることは知られている。
知られてはいるが、その部分の粉は歯ぬかりするという理由、あるいは粉にするのに時間がかかるという理由、あるいは粗碾きのままだとつながりにくく打ちにくいという理由などから、甘皮の相当部分は排除される。
私が初めてソバを栽培した年、製粉会社に製粉を委託した。この地では以前から個人の精米所やJAの精米所がソバの製粉もしていたのだが、その頃にはその数も減っていたし、私の舌に蕎麦の味を教え込んだ父親が製粉を委託していた個人の精米所は、あまりにあくどかった。
先ずは私の父が亡くなる何年か前のこと、その個人精米所に農家から買い求めた玄ソバを持ち込み、一週間後に製粉された粉を引き取りに行ったところ、「あれ、Kさん、もうそば粉持ち帰ったんじゃなかった。無いよ」と言われ、お人好しな父親はそのまま手ぶらで家に帰って来てしまったのだった。それでもうその精米所には行かないかと思ったら翌年、翌々年、父はまだその精米所に玄ソバを持ち込んでそば粉にしていた。
その父が病気になって歩行困難となった。そこで私が代わりになじみの農家から玄ソバを買い、その精米所に持ち込んだ。一週間後、そば粉を引き取りに行った私に、精米所のばあさんが言った。
「お宅のソバに釘が入っていて製粉機が傷んで部品を取り替えた。弁償して貰いたい」
私は製粉料金に部品代を上乗せされた料金を支払い、そば粉を自宅に持ち帰った。その年の蕎麦はちっともうまくなかった。今でもその精米所に石を投げたい気分です。
そういう苦い思い出があるので、その精米所には金輪際足を向けたくなかった。
そこで、この地で唯一の蕎麦専門の製粉会社に、生まれて初めて栽培したソバの製粉を委託した。そして生まれて初めて二八で蕎麦を打ってみたのだったが、どうもそば粉が白すぎるし粉の粒子が細かすぎるような気がした。初めてにしては結構うまくつながって蕎麦にはなったのだったが、食べてみるとどうにも蕎麦の「風味」が薄くてがっかりした。
どうしてこんなに「風味」が薄くなってしまったのかとずっと考えていて、玄ソバのせいというより、製粉の仕方に原因があるのではないかと思い至った。
それからいろいろ、ソバや蕎麦について書かれた本を読み、また考えた。
これは邪推かもしれないが、プロの製粉会社は「お宅で碾いてもらったそば粉はつながらない」と言われては困るので、篩いを細かい目にする。メッシュの細かいソバ粉がつながりやすく、粗碾きがつながりにくいのは事実である。
そこで製粉会社はメッシュを細かくする。メッシュを細かくすると、内層粉や中層粉はまだしも固い甘皮の部分が残る。固い甘皮を細かいメッシュの篩いを通るようにするにはさらに製粉機なり電動石臼なりにかけなくてはならない。安い(高い?)製粉委託料金でそこまで丁寧に碾いてはいられないので、甘皮部分は歯ぬかりもする厄介な部分なので棄ててしまうか、乾麺製造会社に売り飛ばしてしまう。その結果、打ちやすくて、色が白くて、品のいい蕎麦が打てるソバ粉が出来上がる。
しかし、かんじんの「風味」がどこかに消えてしまって、われわれの目の前にあるのは、香りも味も希薄だけれどコシやのど越しだけは良いという、いわば畸形な蕎麦。
コシやのど越しといった触感的食感だけだったら蕎麦よりもうどんの方がずっと優れている。蕎麦にはコシやのど越しだけでなく風味、すなわち「香り」と「味」をもバランスよく含め、味覚、嗅覚まで総動員して食べるべき食べ物なのである。

こんなことを考えた私は、次の年から、自分で栽培したソバは自分で自分の口に合うように製粉しなければダメなのだと思い、製粉機や石臼の取得に躍起になったのでした。
にもかかわらず、いまだに自分の気に入ったソバ栽培も製粉も出来ず、コシもあってのど越しも良く香りも味もある蕎麦を打てないでいるのですが。

2011年11月23日水曜日

遺伝子のかすかな記憶

 いつまでも暖かい秋だったがようやく霜が降りるようになり、そろそろその時期だと野沢菜を採りに家庭菜園へ行った。家族3人なのでそうたくさんは要らないので小さな束で4つほど収穫した。

終わってあちこち見回っていると、あれれ、また季節はずれの怪しい蕾が。

通常はルバーブの5月から6月にかけて咲くものだが、なぜか、この種類は毎年今頃蕾をのぞかせる株が出てくる。
実は、この株の元々の種が育成されたのが南半球であるので、それでこうして季節を勘ちがいして今頃蕾を作ってしまう株があるらしい。
冬から春、春から夏、秋、そういう温度変化を感受して、彼らは異国で春に芽を出し、それから茎や葉を伸ばし、蕾をつけて花を咲かし、種を生産する。
そうやって環境に順化してゆく一方で、かつて生育した国での時間の流れのようなものが遺伝子の中にかすかに記憶されていて、だから季節とは逆に冬の手前で蕾を生成してしまう。かの地では今まさにルバーブが花盛りの季節である。
こんな風にただ単に季節の温度変化だけで生きているのではないということで、感心してしまいます。

それにしても、そろそろ、来年あたり株を選抜して株分けによる増殖を始めてみないと。

2011年11月21日月曜日

大失敗・その1

この夏に、普通ソバといっしょにダッタンそばの種を播きました。30mくらいの長さの畝で6通りくらい播いたにもかかわらず、芽が出たのは一株だけという大失敗に終わって、ダッタンソバを粉にして毎日飲んでいるダッタンそば湯を自家製のものにしようという目論見が潰えました。






(実は片山虎之介さんの「ダッタン蕎麦百科」と「不老長寿のダッタン蕎麦」を読んで以来、私もこれで脳梗塞や循環器系の病気を予防するつもりなのでした)


それにしても、こんなに壊滅的に発芽しないのは種が悪かったのだろうとずっと思っていました。
しかし一週間ほど前に、ソバ関係のデータを印刷して綴じてあるファイルを開いていて、ひゃっとしました。
ダッタンそばにマイクロウェーブを照射すると苦味が消えるという研究データが目に入ったのです。
そういえば、種として購入したダッタンソバ1kgのうちの数百gを自宅のマイクロウェーブ発生装置=電子レンジにかけ、それを石臼で碾いたことがあった。確かに苦味はかなり無くなってなるほどと納得したのだったが、まてよ、あの時ダッタンソバが入っていたガスバリア袋をそっくり全部電子レンジにかけてしまったのではなかったか? ひゃっとしたのは、そう思い至った瞬間。そうか、種として播種することを忘れて、一部ではなく全部を電子レンジにかけた可能性がある。
ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナョ~

ふうむ、種を電子レンジにかけちゃ、発芽する訳ありませんよね。(ばかだなあ、つまらない実験をして)
「種を見ると播きたくなる病気」をかかえていますので、懲りずにまた来年種まきしてみます。

2011年11月20日日曜日

力仕事をした時は



今日はようやく、自作の在来種のそばを、試しうちではなくきちんと打ってみた。
しかし、まとめはじめてすぐに水が足りなかったことが分かった。足りないといってもおそらく1ccとか1,5ccといった程度なのだが、小心者はここで動揺する。延しはともかく、切りがメチャクチャになって写真を撮る気にもなりません。
茹でてざるに盛ってみると、延しが薄い割りに幅が広いし、細いの幅の広いの、まあ、自分ひとりで食べるにしても我慢の限度を超えています。家族には食べさせず、ひとりで食べました。
コシ、のど越し、風味などはまずまずOKでした。おいしかったです。
香りはちょっと弱い感じでしたが、これは年によって異なるので何ともいえません。
あのソバ大不作の一昨年のそば粉が、実はまだ1kgの真空パックで7袋くらい冷凍庫に眠っているのですが、一昨年の蕎麦粉は水回しをしているともうもうと立ち昇って脳が麻痺したものでしたが、ああいう強い香りは今年も感じられません。もうああいうそば粉にはめぐり合えないのでしょうか。
そういえば、あの年の新蕎麦会ではM君がお箸で蕎麦を摘んだと思ったらいきなり椅子から立ち上がり、「蕎麦の香りがする~」と大声で叫んだのでびっくりしました。
今回の製粉は及第点の80点くらいと思えるが、切りは最低で30点くらいのもの。情けないです。

でも、よくよく考えてみたら、今日は8:30から地区の神社の注連縄作りに参加していて、藁を絞めたりロープを引いたり腕力を要する作業をし、その後で慰労会でお酒も飲んだので、そもそも繊細な包丁作業ができる訳はないのでした(反省……力仕事をした時は蕎麦打ちをしてはいけない)。

しかし、「蕎麦を打つのが下手な蕎麦好き」って、なんだかギャップが大きすぎます、ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ

2011年11月18日金曜日

どれがいちばんねずみのお尻に似ている?

夕方、ちょっと時間があったので家庭菜園へ行ってねずみ大根を収穫した。抜いて葉を切って、玄米を入れる紙袋にちょうどひと袋あった。本数は多分、80本くらい。
水分が少ない辛味大根なので、真冬は発泡スチロールの箱へ入れておき、その後は新聞紙に包んで冷蔵庫に入れておくと、腐らずにずっと生きていて使える。上手に保管する場所があれば、夏ごろまで蕎麦に添えることが出来る。
辛味大根は味蕾を洗ってリフレッシュしてくれるので、何は無くても蕎麦に大根おろしだけは欠かせない。



それにしても自家採種を2年続けたせいか、もともとF1ではなく固定種であるせいか、ルバーブ同様、その形質が実に不ぞろいだ。
どれがいちばんねずみのお尻に似ているか、5本ほど並べて写真を撮ってみた。右から二番目が元々のねずみ大根のお尻にいちばん似ている。
もしも、来年もまたこのなかから採種するとすれば、今からきちんと形の良いものを採取用の母本(採種の世界ではそういうらしい)として選抜し、保管しておくべきだろう。今の内に植えなおしておく場合もあるらしいが、ここは寒地であるので、保存しておいて来年の春の彼岸頃に植えてもいい。今年も3月に植えなおして6月~7月に採種できた。
このあたりでは大根を抜かずに放置して花を咲かせているひとはいないので、交配の心配も先ず無い。自家採種も結構面白い。

2011年11月17日木曜日

わが偏執的上臼探索

今年ついに電動化した石臼は、親戚筋の家の漬物石と化していたものをほぼ強奪するようにいただいて来た直径一尺(30cm)の地元の安原石という安山岩製で、田舎の石屋の物にしては端正な形をしていて、それで気に入ってモーターを取り付けたのだった。
ほかに、子どものころから我が家にあった一尺一寸(33cm)の石臼と、同じ一尺一寸だが妻の実家から確保して来た固い溶岩の下臼と、Tさんの庭にイワマツの盆栽の置き台になっていた上臼とで、合計三つの石臼がある。しかし我が家伝来の石臼はおんぼろであるし、妻の実家の庭の片隅から確保して来た下臼は惚れ惚れするほど黒く固く、しかも端正な目をしているのだけど、かんじんの上臼が家の中土蔵の中、屋敷の中、どこを探しても見つからない。この黒くて固い溶岩の上臼が見つかったら、この石臼で玄ソバを手碾きしてみたいと思っている。
義兄は黙っているが、実は土蔵の隣に鉄骨の小屋を建てた、その基礎石の代わりに埋めてしまったのではないかと類推している。
いつか、あの鉄骨の小屋の四隅を掘ってみたい気がしている。

2011年11月16日水曜日

結果報告

昨日から製粉を始めていた交雑した奈川在来。途中で仕事に出かけたりで中断ばかりしていて、ようやく今日、袋詰めした。
その結果。

碾き割りした際のハナ粉を50メッシュで篩ったもの   1,4kg
製粉機での一番粉                     5,0kg
      〃    二番粉                     3.6kg
電動石臼での三番粉                    4,2kg
                                       そば粉になったもの 合計 14,2kg 

磨きで出たゴミ                        0,9kg
サナゴ                             0,8kg
そば殻                             3,8kg
                捨てたもの     合計  5,5kg
                                300gは行方不明。

ということで、結局歩留まりは71%で、もう少し少なければベストでしたが、まずまずです。
原料20kgからガスバリア袋に1kgずつ脱酸素剤とともに封入したものが14袋できました。これで当分そば粉の心配をせず蕎麦打ちできます。

2011年11月15日火曜日

気の長い話

そば粉が少なくなって来たので、また製粉した。玄ソバは、今年の初め頃にネット上で発見した玄ソバで販売していたN在来だが、まじまじ見ると交雑しているのが明らかだった。本来が種子としてではなく食用として売られている玄ソバだから、それを石臼で碾くなりしてそば粉にして食べてしまえば問題はない。
それを種として栽培しようとする、つまり目的外使用をあえてしようとしているのだから、交雑している粒があっても仕方ないのである。
そして、交雑していると思しき粒はすべて排除したつもりだったが、播種して収穫してみるとまだ交雑していると思える玄が結構存在している。


この画像の右が本来のN在来、左側は交雑したソバ。あまりに大きく、あまりに黒いので、信濃1号ではなくキタワセかと類推するのだが、素人には良く分からない。分からないけれども、違う品種であることだけは素人目にも明々白々。
来年度は右側から気に入ったものを採種用として選抜し、それを他のソバ畑のソバと交配しない場所で播種用として栽培し、それを翌年に食用として栽培すれば本来のN在来に近いソバになる。
ということは、少なくともあと二年後でなければMy sobaにたどり着けないことになる。
気の長い話ではあるけれど、それが現在の目途。


2011年11月13日日曜日

メンテナンス

昨日、石臼が回転するたびに妙な音を立てていたので、今日は清掃を兼ねたメンテナンスを実行。やはりモーターを固定している4本のボルトのうち1本が緩んで5mmくらい隙間があった。
まだ目立てはしなくていいようだが、ほかの場所よりやや高くて擦れている場所があるので、いずれそこを少し叩く必要はある。ディスク・グラインダーを使うと削りすぎてしまう可能性があるので、手作業で叩いた方がよさそう。

2011年11月12日土曜日

今日もひねもす

今日は新蕎麦会の予定が狂ってしまったので、まだ乾燥が甘いらしいが、T在来(イニシャルで書くのが面倒になったので=対馬在来)を少し磨きにかけて石臼にかけてみることにした。
しかし、1kgでは少なすぎて循環式精米機のなかで対流しない。
仕方なく2kgを磨き、その半分の1kgを石臼にかけた。
その結果、一回目を60目のふるいにかけたでんぷんの多い粉が505g。
                   ↓


その60目で篩い残ったものをもう一度石臼にかけ、同じく60目で篩った2回目の甘皮付近のタンパク質の多い粉が250g。
                  ↓

                   色の違いがそれほどわからなくなってしまいました。

合計で755g。
しまった、また70%を越えてしまった。もう少し歩留まりを下げないと。
それに60目だとやはり鬼皮の破片が排除できない。これくらいは仕方ないか。
この粉の試食はまた後日。苦味その他かなり強烈な個性のソバらしいので楽しみ。

2011年11月11日金曜日

終日雨

先にズワイガニのしゃぶしゃぶセットを贈っていただいてしまったので、Yさんのために新蕎麦4人前を打ち、普通のそば粉1袋、そばがき用に粗碾きしたそば粉を1袋用意し、クール宅急便で発送した。これで心理的負担が解消できました。

 夕方、Tさんから電話があり、特別養護の施設に入所している奥さんが肺炎で熱を出したので、明日に予定されていた新蕎麦会を延期したいと。無論です。早い快復を。
 ちょっとがっかりですが、まだ何も準備してなくてよかった。

2011年11月10日木曜日

失敗と反省

粗碾きというより、ただの引き割りと言っていいくらいの粗碾きを30%混ぜて150gで試し打ちしてみた。水加減もまずまずで、延しも切りも順調だった。
 が、茹でたら切れた。といっても7~8cmから10cmくらいはあったのだが。要するに粗い粒のところで切れたらしい。
 しかもその上ショックだったのはぜんぜんおいしくなかった。粗碾きだからおいしいとか、新蕎麦だからおいしいなんていうのは迷信ですね。
 新蕎麦より、1月2月の寒中の方がずっとおいしくなる。
 こうして実際にやってみると、頭で考えているよりずっと身を以って理解できるのがいいです。

 やはり40目(32メッシュ)のふるいくらいが限度か。
 というより、もっと普通のそば粉できちんと打てるようになりなさいということか。

2011年11月9日水曜日

収穫祝いではなく

上げる予定だったそば粉(ガスバリア袋に1kgと脱酸素剤を封入)12袋を持ってTさんのお宅を訪ねて、しばらくのんびり雑談。そのうちに以前からしようということになっていた収穫祝いの話題になり、12日の土曜日にしようと決まった。ほかに4人ほどで計6人。アルコール無しだというので、それじゃ収穫祝いというのも変だから新蕎麦会ということにしましょう、ということになった。
まあ、だらだら飲み食いした挙句に蕎麦では蕎麦もおいしくないので、お酒無しもいいと思うが、しかし、缶ビール一本くらいは飲みたいような気がしますw。
Tさんは天ぷらを用意するという。Tさんは現在一人暮らしなので女性はふたり参加をお願いするという。6人が皆、Tさんを介して顔見知りなので、気楽な会になるだろう。
蕎麦はTさんも打つとは言ったが病院の3科に通院中のひとに打たせる訳にもいかないので、私が家で打って持って行くことにした。あとは自分の好きな「冬瓜のそぼろあんかけ柚子風味」でも作っていこう。
蕎麦は、N在来の50メッシュの粉で500g、あと500gは50メッシュに昨日碾いた粗碾きを混ぜたものを打って2種類の蕎麦の盛り合わせにしたいと思うが、一度粗碾きの方をテスト打ちしてみなければならない。もう日が無いけれど。

2011年11月8日火曜日

試行錯誤開始

夕方5時過ぎから夕食までの間に、磨きをかけて製粉したN在来の残りが2,5kgくらい半端に残っていたので、それを製粉機で殻を割り、ハナ粉とそば殻を排除してから電動石臼のホッパーを外して直接物入れからどんどん入れて粗碾きしてみた。石臼の回転数は毎分15回転で変えられないので、とにかく物入れいっぱいにどんどん落とし込んでみた。
篩いは20目とか30目を持っていないので、40目あるいは16目しかない。
仕方ないのでそば殻を篩う16目で篩ってみたら、さすがに粗すぎる感じ。
これでは碾き割りよりちょっとましなだけ。これ混ぜたら危ないというか、つながらないだろう(量にもよりけりだが)。
やはり20目か30目を粗碾き用に購入した方がいいのだろうけど、こんなことをしているうちに篩が全部揃ってしまうではありませんか、(ーー;)


少しそば殻の粉砕されたのが残っているが、これくらいは仕方ないか。ピンセットで拾い出すという人もいるらしいが、いい加減な人間なのでそこまで厳密にはなれない。
また甘皮がざらざらな感じで混じっているのも麺のつながりにどんな影響をもたらすのか、とにかく、実際に混ぜて打ってみるのはいちばんだろう。
友達や兄弟にそば粉を上げるので誰が打ってもつながるそば粉を製粉しなければならないが、そのためにはどうしても50メッシュなり、60メッシュの篩を通すことになる。するとのど越しやコシはまずまずなのだが、肝心要の風味がぼやけてしまう。そこで自分ではこっそり粗碾きを混ぜて打ってみようという、そのための粗碾き。この超粗碾きでいいのか、20目(16メッシュ)か、それとも30目(24メッシュ)が適切なのか、さて、試行錯誤開始。40目(32メッシュ)は持っているので、そのあたりまで試してみよう。

2011年11月7日月曜日

今年最後の風選

一昨日脱穀したままだったT在来を唐箕にかけ、精選した。
唐箕は使うたびに感心する道具である。
唐箕にかける前はただのゴミの山だが、風力で茎や葉がきれいに飛んでソバの実だけになった。
計量するとぴたり8kg。
栽培面積は3,5間×6間=21坪。反収を計算してみると114kg。
チッソ過多で徒長し、見た目にも実の付きが悪かった割には意外に多かった。
晴天が続かないので三日くらい庭で日光をあてて自然乾燥させてから、これも試食してみる予定。試食してみないと、来年度の栽培計画が立たない。

2011年11月6日日曜日

日曜日の雨降りがこんなに素敵だなんて

日曜日で雨降り、しかも長男が週末に予告無しで帰省したこともあり、新蕎麦を食べさせるために朝から蕎麦打ち。ついでに隣のIさんのうちの分も打って届け、その後はさらに電動化した石臼で実際にN在来を、横着をして玄ソバから碾きながら、改良点をいくつか修正。
漏斗で作成したホッパーから石臼の物入れに自然落下する単純装置だが、落下量がまだやや大目なので、もう少し減らせる工夫をした。
ただし落下量を減らしても、一回ですべてが粉にならないので、どうしても二度碾きになるのだが、その二度目の粗めの甘皮が、たまたま漏斗から下のパイプの部分へ落ちてゆかず、空碾きになることがたまたまある。漏斗の下部のカーブが緩いせいかと思ったが、甘皮などががさがさしているので摩擦抵抗が大きくてパイプへ落ちてゆかない。
さて、どうしたものか。
量的には少しなので、離れずに見ていて、詰まったら突いてやるしかないか。ほんとうは一時間くらい自動で碾いていてくれたらありがたいのだけど。

2011年11月5日土曜日

今年のソバ栽培終了

雨が降るというので、まだ余り乾燥していない感じだが、菜園のジャガイモ栽培跡地のT在来を脱穀した。チッソ過多で長く伸びすぎていて、しかも実の付きもよくないが、放っておく訳にもいかない。
小一時間で終了したが、唐箕をうっかりもう要らないと思って別の場所にある倉庫に置いてきてしまったので、篩いで篩っただけで、唐箕による風選が出来なかったので、収量はまだ不明。おそらく5kgから10kgの間ではないか。これで4種類も播種した今年の狂乱のソバ栽培も終了となる。やれやれ。来年度からN原はやめ、面積を大幅に縮小してmy sobaとなるべき種の選抜に重点を置くことにする。

2011年11月4日金曜日

タデ科三昧

10月28日に刈り取りしたK在来を、今日の昼休みに行って十分ほどで脱穀し、それをそのまま家へ持ち帰った。そして篩いで茎や葉を取り除き、細かい葉などは乾燥しているので、唐箕での選別は省略していきなり循環式精米機で磨きにかけた。思ったとおり、乾燥した葉は粉々に砕かれて下に落とされ、ソバの実も萼などをきれいに摺り落とされた。それから箕で皮だけの未熟な実を風選して、計量してみた。
1800g。5gで289粒だったK在来が1800gになった。重量比で360培。5gで289粒から単純計算してすると104040粒収穫できたことになる。1000粒重は17,3gで、やはり最軽量の部類に入る。とにかく小さい。
1800gあれば、一応一度か二度くらいは試食できそうなので、よかった。来年度の種子として残すか残さないか、食べてみなければ判断できないのだから。
それにしてもこんなに実が小さいと重量での収量は少ないに決まっているので、よほどおいしくないとダメですが、こうして写真に撮ってじっとながめていると愛着が生じてしまいます。信濃1号ともN在来とも顔つき(表情)が違うんですね。



夕食後、採ってきたまま忘れていたルバーブを洗って刻んで鍋へ入れ、ジャムを製造。



ホームセンターで売っているビンの小さいもので18本出来ました。

2011年11月3日木曜日

どう碾いて、どう篩うか

文化の日ということで、自宅にひきこもって新ソバの製粉作業。
信濃1号とN在来、2種類を碾く。量が数kgではないので、そば殻を割るのと一番粉は製粉機を使用し、二番粉、三番粉を電動石臼という風に分担させた。5kgくらいまでだったらまだしも、10kg単位になると石臼だけでは碾けない。しかも風味のあるそば粉にするためには甘皮をあっさり捨てる訳には行かない。
ほんとうはというか、自分が食べるだけを碾くのだったら引き割る作業以外はすべて石臼でゆっくりと粉にしたいのだけど、今回は友人や兄弟に上げる分なので、味もだが、あまり上手でないひとでも打ってつながる粉にしなければならない。
どう碾いて、どう篩うか、それがなかなか難しい。

出来た粉をガスバリア袋に1kgずつ入れ、脱酸素剤も入れてシーラーで封をする。時間が経過すると、脱酸素剤が吸った酸素の分だけ空気が減り、真空パック状態になる。これで冷暗所に置いておけば結構保存出来るし、もっと長期保存したかったらフリーザーに入れておけばよい。事実、我が家の冷凍庫には昨年のそば粉がまだ6袋くらい残っているが、今でも甘皮の薄緑色や風味、香りが結構楽しめる蕎麦が打てる。とはいえ、今年は玄ソバで保管しておいて、少しずつ石臼で碾いて楽しみたいと思い、ネルパックの玄米用の大袋を3袋購入した。

2011年11月2日水曜日

最後の収穫


今朝は早朝に「さといも」の収穫をした。株ごと家に持ち帰ってさといもを取り、その残渣を菜園に捨てに行って、ふと向こうを見たら、まだルバーブが葉も茎も凍みないで立っているものが大部分で、もったいないので最後の収穫をした。ジャムにするにはちょっと多いが、多すぎたら洗ってカットして真空パック用の袋に封入して冷凍庫に入れておくという手もある。
もう一度、ジャム用のビンを買って来なければならない。

腑に落ちない

例年、共同栽培したソバは各自の必要量を分配し、残りは製粉会社に売っていた。
ずっと1kg・350円くらいであった。
それが、今年は1kg・200円であるという。
ええっ? 
なぜか。
今年から申請してソバを栽培すると助成金が出るので、その分を引いた金額が買い入れ価格になる、と。
ん? 助成金はソバを栽培する農家に対してがんばってソバを栽培して下さいという趣旨で設けられたものではなく、製粉会社が安く買って儲かるようにという趣旨だった? 助成金が出るから、その分を安く買い叩こうなどと、江戸時代のソバ問屋と変わりないじゃありませんか。
農水省に訊いてみようかな。
来年からは自分が食べる分しか作らないようにしましょう。

2011年11月1日火曜日

蕎麦の風味が損なわれない範囲内

Tさんが収穫祝いをしようと言う。収穫祝いをするならしめは蕎麦であろうが、まだ試し碾きしたそば粉しかない。製粉する場所にまだ自家用水田で収穫した籾が入ったハーべスター袋が積んであって邪魔なので、知り合いの精米所に電話をして籾摺りしてきた。そして自家用以外の米はTさんの倉庫にそっくり運んでしまったので、場所が確保出来た。
これで製粉機、電動石臼、電動篩いなどを並べて製粉作業が出来るようになった。
とりあえずは信濃1号20kgとN在来20kgを製粉し、すべて1kgずつガスバリア袋に脱酸素剤を入れて封入する。N原のソバ栽培畑の地主に10袋、Tさんには玄ソバ20kgから出来るソバ粉、多分13袋くらいを上げる予定なので、まだこれでは足りないが、自分で使うそば粉は、例年はすべて粉にして真空パックにし、それを冷凍庫で保存していたが、今年はあまりストックせずに、5kg位ずつちびちび製粉する予定。むしろ玄ソバを磨いてネルパックで保管するつもりだったが、N在来は磨きをかけるとかなり殻が剥けてむきみになってしまうので、磨かずにネルパックで保存し、碾く前に磨くしかない。

それから、十割蕎麦を打つためにはやはり、ソバ殻などの不純物は極力排除すべきであると解ったので、そのための努力や工夫は惜しまないことにした。
Tさんなどは昔風の色の黒い蕎麦が好きらしく、そば殻が碾きこまれた蕎麦がいいと言うが、十割蕎麦を打つためには砕かれたそば殻は邪魔である。蕎麦の味も不純になる。京都の辛汁さんがむきみにこだわるのも理解できる。
ただし、しろうとが脱皮機を置いて完璧なむきみを作り、それから石臼でそば粉にするのは難儀である。であるから、石臼なり製粉機なりで大割れを作ってそば殻を排除する方法が、ベストではないがベターということになる。
100%純粋なそば粉ではなく、3%くらいはそば殻や甘皮が混じっても、私は許容出来る。蕎麦の風味が損なわれない範囲内で。

2011年10月31日月曜日

今年最後のソバ刈り

午後一時から一時間ほどかけて、T在来を稲刈り鎌を使って手刈りで刈り取った。面積はさほどではないが、私の身長を越えるほど伸びて倒伏はしないものの隣の通りの蕎麦にのしかかっていて、刈りにくい。しかも実はあまり付いていない。やはりチッソ過剰は草丈ばかり伸びて、実の付きは悪くなる。しかもチッソ過多で無限花序に火がついて、霜が降りるまで花を咲かせることをやめようとはしない。
チッソ過多で播種時期が早いと徒長して花は咲き続けるが実は付きにくいという、悪い見本になってしまったが、よい経験をした。



異常に丈の長いソバを刈っていったら、ようやくその西側に隠れていたルバーブが見えるようになった。今年はソバに夢中でルバーブの管理がおろそかになった。ルバーブ君たち、申し訳ない。



そうだ、強い霜が降りないうちにもう一度ルバーブ・ジャムを作っておこう。先日製造したものは母親が関東に住む弟のところへほとんど送ってしまって、もう手元に無い。
そういえば、弟が安納芋を作ったといって今日宅急便で大きな段ボール箱ひとつ送って来た。銀座に勤めながら土日に千葉で農作業をしており、しかも今年の安納芋の苗は自分で育成したという。お互いに、何という兄弟なのだろう。

2011年10月30日日曜日

手ごわい在来種(2)

28日に刈り取りした採種用のK在来の様子を見に行ったら、少しは黒化が進んでいた。しかし受粉した花が少なかったのか、実の付きがはなはだ悪い上に粒が小さい。試食できるかどうか。これでおいしくなかったら腹が立ちますけど。
それから菜園の方のT在来も観察。しぶとく緑色していたT在来も霜に遭ったせいか少し黒化してきたような気がする。明日以降、時間があったら刈り取り開始しようと思う。明日で89日、11月1日には90日になってしまう。

2011年10月28日金曜日

手ごわい在来種

189粒播種したK在来の葉が黄化し、実も少しは黒化してきた。何と今日で播種後85日になるので、半端な空き時間に行って刈り取り作業をした。といっても作業時間は十分未満。束にして8つ。立てて乾燥させながら追熟を待つことにする。それにしても何という粒の小ささ。実の付きもあまり良くない。これで風味が薄かったら誰も栽培しないだろう。
ついでに家庭菜園の方にも顔を出してみた。こちらのT在来も昨日の朝と、今朝の低温(霜)で葉がだいぶ傷んで青味を失って来ているが、まだ青い実が多く、黒化したものは少ない。いくら蝿が三匹止まったら(=黒化した実が三粒あったら)刈って良いとはいっても、なかなか刈る気にはなれないが、さりとてこれ以上置いて黒化が進むのか、強い霜に遭って枯れてしまうのか、判断が難しい。
このT在来は甘皮の緑が濃い種類であるらしいので、ひょっとするとこれももう刈り取って追熟に期待すべきなのだろうか。これはもう播種後87日経過している。さて。

25日に打った食べ比べ用の蕎麦の残りが、まだ冷蔵庫に残っていたのをうっかり忘れていた。もう丸三日も経っているが、ポリ袋から出して匂いを嗅いでみたら何ともないので、昼食に茹でてまたネギと鶏肉であたたかい蕎麦にして食べた。十割で打ったのにまったく切れず、風味も残っていていい感じの温蕎麦だった。
ちなみに、三日経っても在来種の方がおいしい。

2011年10月25日火曜日

いよいよ食べ比べ

夕方、少し早めに帰宅したので、碾いたそば粉2種類をつなぎ無しの十割で打って、食べ比べをしようと道具を出した。とはいえ、2種類打つので、そう大量には打てない。そこで300gずつ打つことにした。
この地では定番の信濃1号と、N在来、どちらも大割れを作ってそば殻を8~9割吹き飛ばして排除したものを電動石臼で碾き、60目(50メッシュ弱)で篩い、篩い残った甘皮を再度石臼にかけて碾き、同じ篩いで篩ったものを合わせた粉で、甘皮のほとんどが入っていることになり、東京風の白くて上品な蕎麦にはならないが、そば殻のホシもこれまでよりだいぶ排除できたはず。
300gでは水回しも何もちょっとやりにくいが、何とか延して切った。まだ十割の初心者なので粗碾きではなく、どちらもあっさりとつながった。

そして茹であがってザルに盛ったところ。(盛り付けが雑)



左側が信濃1号、右側がN在来。切り方が下手なのはご愛嬌(というか、ほんとうはもう少し細く切りたい)。
それで早速、試食。先ずは何もつけ、左右を交互に何度も食べ比べ。よく噛んでみる。
信濃1号も風味を感じない訳ではないが、比較すると、N在来の方が香り、味ともに強いのが実感された。
花盛りのソバ畑を思い出しながら、ふと、やはり、花の蜜がうん○臭い在来種の方が、ソバの香りも味も濃いのかもしれないと思った。私の畑でもN在来の畑は臭かったが、信濃1号は満開の時でさえもうん○臭くなかった。
9月にあちこち訪ねた在来種のそば畑も強烈にうん○臭かった。
蜜の匂いの強い、強くないの差は何によるのだろう? 

何度も食べ比べているうちに舌が鈍感になる。そういう時にはねずみ大根のおろしをひとくち口に入れると、なぜか舌の感覚が鋭敏になる。辛味大根の不思議な効用である。

(そういえば、Tさんにねずみ大根の種を上げたら、「長い畝で2通り播いたので300本くらいあるかもしれない、半分くらい持っていって」と言われた。結構長く保存できる大根ではあるけれど、150本は要りません。自分で播いたのも70本くらいあるし……)

ということで、信濃1号はすべて製粉会社に売ってしまい、N在来を全量保存することに決定。
となると、まだ刈り取りもしてないT在来と、一度試食できるかどうかしか収穫できないであろうK在来が楽しみだ。

2011年10月24日月曜日

ようやく脱穀作業終了

雨で脱穀できなかった花園2号地のソバを、乾いて来たらしいので午後になって出動し、脱穀した。
今回もブルーシートを広げた中央にソバをひと抱えほど置いて、それを棒で叩くという縄文・弥生時代の方式にした。乾燥が悪い場合はコンパネやプラスティックのコンテナなどに叩きつける方法の方がきれいに実が落ちるが、乾燥が良いとこの方式の方が能率的。
今日は先日山から切って来た棒を使ってみたが、まだ乾燥せず生な状態だったが適度な重さがあり、また棒自体のバランスが良くて使いやすい。幹と枝でへの字の形にしたのではなく、天然でへの字になっていた木で、樹種は不明だが使い心地が気に入った。来年以降もこれを使うことにする。もう少し乾燥させてから、握るあたりを滑らかにするために削ったり磨いたりして整えておこう。
途中、仕事上のお客さんが来たと呼び出しされて帰宅したので、早く終わる予定が、篩いと唐箕をかけたら、結局、午後4:30に終了となった。
収量は乾燥しない状態で45kg。宅地二区画分なので、おそらく130坪くらい。反収を換算するとどうやら100kgすれすれ。N原の信濃1号は10aあたり138kgという数字が出ているので、やはり在来種(しかも小粒)は収量が少ない。とはいえ、在来種で100kgというのは多分かなりの多収穫だと思う。ソバ栽培5年生でようやく満足できる結果になった。
これで採種用のK在来とT在来を除く2種類は脱穀作業終了です。
それにしても、今年は大面積に挑戦して何ともハードなソバ栽培でした。

昨日見たばかりだが、189粒播いたK在来が黒化が進んできたように見えた。人間の目って案外信用できない。しかし、粒が小さい。こういう小粒種は収量が少ないに決まっているので、よほど味が良くないと栽培する気になれません。

2011年10月23日日曜日

痛!

春に家族が「さといも」も栽培してみたいというので、花園3号地のソバを播いた北側に黒マルチを張り、そこに種芋を植えておいた。
その後、生育も順調で、私の身長より茎が長くなっているので、少し試し掘りをしてみようということになった。
茎を切っておいて、周囲をシャベルで掘っておいて、それから株ごと掘り上げる。こんな調子で二十数株の全部を一度に掘るのはタイヘンかもしれない。
五株掘ってコンテナに半分近くの収穫。これはすごい。
早速、こいもを皮付きのまま蒸して、つるっと皮をむいて田楽用の味噌や砂糖醤油につけて食べてみた。この食べ方、結構楽しい。

久しぶりに菜園のT在来と、水稲育苗ハウスに隔離栽培しているK在来の様子を見に行った。どちらも以前よりは黒化した粒が見えることは見えるが、まだまだ少ない。ただしK在来は受粉した緑色の実はかなり目立つようになってきている。K在来は播種した土壌が山の赤砂を盛った場所にあるので、どうもそもそも実の付きはあまり良くない。粒も小さいので、営利栽培には絶対に向かない。189粒を手で一粒ずつ間隔をあけて播いたものなので、来年度の種子用のほかにたとえ1kgでも試食用が確保できればいいのだけれど、さて。
このT在来はその県の農業試験場のデータを見ると粉の緑色が強いことと、苦味、苦味コク、旨味、旨味コク、渋味、渋味刺激ともに他県産をよりも強い。ことに苦味、苦味コクの数字は相当である。
この種を入手した時、ほんとうかと思って、手作業でソバの皮をむき、5粒くらいまとめて口に入れ、噛み砕いてみた。確かに普通のソバよりずっと苦味のようなものが強かった。これをそば粉にしたらどうなのだろう? ということで播いてみたのだけど、野菜を栽培している肥えた土だったのと、暖地のソバせいか、背丈2mを超えるくらい伸びて真っ直ぐには立っていない。がぺたっと地に這ってしまったのではなく、弓なりにしなってがんばっているので、何とか収穫にこぎつけたいもの。
多分、黒化しなくても、強い霜に遭ったら刈り取って乾燥させていいのだろうと考えている。その方が早刈りソバと同じで甘皮の緑が残るのではないか。


これはそのまだ生育中のT在来から黒化した粒を採種し、胸ポケットに入れて持ち帰ったもの。
この頃の我が家ではあちこちにソバの実が落ちていることがあって、素足で歩いていてこのソバの実を踏むと痛い。忍者の撒き菱ほどではないが、結構痛く油断がなりません。
ソバの脱穀の際などに飛び跳ねたソバの実が胸ポケットやズボンの左右のポケットに結構入って、それが家の中でこぼれたりするのですね。

2011年10月22日土曜日

いよいよ新蕎麦、\(^o^)/

N原の信濃1号より先にN在来の早刈りを試食してみようと、乾燥と磨きが済んでいる3kgほどを製粉した。
製粉機の金臼の間隔をあけて殻を割り、ハナ粉を篩ってからそば殻を風力を落としたブロアで吹き飛ばし、95%くらいのそば殻を除去、それから電動石臼で製粉。それを今回は40目の篩で通したのち、残ったわずかな量をもう一度石臼にかけ、また40目で篩った。それでも石臼が結構細かく碾いているので粗碾きという感じはしない。ややふんわりした感じのそば粉。甘皮もあまり残らない。
それで、早速蕎麦打ちをしてみた。どうも最後の加水数CC多かったようだが、それを差し引いても粘りがすごいし、色も緑が強い。
家族ふたりは温かいほうがいいと言うので、面倒なのでまた汁にネギと鴨ならぬ鶏肉をいれた鶏南蛮にすることにして、自分はざる蕎麦と鶏南蛮の両方で試食してみた。
その味はというと、ざるの方は包丁の腕が悪いのでやや太めになってしまったので、それが不満。麺の表面のつるつる感、のど越しはかなり良かったが、私は江戸っ子ではないのでのど越しよりも風味を第一に考えているので、風味を第一位に感じられなかったのは不満。風味よりのど越しが先に来てしまったのは、いつもより捏ねすぎたのが原因と思われる。
私は新蕎麦よりも1月2月の寒中の方が蕎麦の風味が良くなると思っているし、製粉の仕方、打ち方で味も変わると思っているので、今後打ち続けてゆくうちに味も変化してゆくだろうと思っている。せっかく自分で種まきから食べるまで一貫生産するのだから、その全過程を楽しみたい。

温かい蕎麦の方は、いつもは温かい蕎麦をバカにしているのだけど、温かい汁から引き上げても結構蕎麦の味がするので驚いた。あまり、温かい丼蕎麦をバカにしてもいけません。
うどんを食べるんじゃないんですから、やはり太い蕎麦ではなく、もう少し繊細な麺にしたいと思います。
ということで、次回は信濃1号を甘皮まで碾きこんだ粉で打ってみます。

2011年10月21日金曜日

疲労が蓄積しているけれど

本日は、仕事をしながら(?!)並行して二日間乾燥させたN原の玄ソバから5kgを計量して磨きをかけ、それをさらに製粉機で殻割りをし、スピードコントローラーを接続して風力を調整したブロアでソバ殻だけを吹き飛ばして排除し、その残りを自作の電動石臼で碾いてみた。
碾くのは簡単なのだが、どの篩で篩うかでそば粉が違ってしまうのが恐ろしい。どうしても蕎麦がつながることを考えて篩の目を細かいものにしてしまい勝ちになる。それで蕎麦の風味が損なわれてしまうのか、反対に美味しくなるのか、よく判らないのだ。

石臼碾きのそば粉は空気を含んでふわふわしている。そのことを先月訪問した蕎麦の打ち手に言ったら、怪訝な顔をされた。
ロール式、あるいは簡易な金臼式の製粉機で製粉したそば粉と、手碾きであれ電動であれ、石臼で碾いたそば粉は同じ玄ソバを製粉したにもかかわらず、まったく別のそば粉になってしまう。
そのそば粉を握ってみると、前者はキシキシ音がするような窮屈な感じがするが、後者(石臼で碾いた粉)はその粒子の間に豊富な空気を含んでふわふわしている。
と書いても、伝わらないかもしれないので……(泣)。

そのそば粉で新蕎麦を打ちたかったのだけれど、疲れていて蕎麦を打つだけの気力がない。
仕方なく「そばがき」にしてみたが、「そばがき」にしては篩の目が細かすぎたらしく、舌触りや食感はいいものの、風味は薄かった。
もう少し粗い篩を用いて、一回通しにすべきなのかもしれない(反省)。

2011年10月20日木曜日

豊作

本日もN原へ。残っている東側の13通りの脱穀をする。帰宅しての計量で93,5kg。合計で304.5kg。ただし二日間乾燥すれば2%くらいは減る。
正確な面積がTさんからの聞き伝えで判らないので、後日、何らかの方法で畑の面積を測る予定。そうでないと、反収が計算できない。

長友博士の「ソバの科学」にソバの灰分というページがある(229頁)。
佐々木林次郎博士によると、そばの種実全粒を分析すると、その灰分は2,74%、種実の厚皮をていねいにはいで、内部の種子のみを取り出してこれを分析すると灰分は2,13%であった。
この灰分の組成について、つまり、灰分中にもっとも多いのがリン酸で全体の48,12%を含み、約半分を占めている。カリは25,48%でこれに次いで多く、残りの半分を占めている。ついでマグネシウム(苦土のこと)、ナトリウム、カルシウム……以下略。
ソバは無肥料でいいとよく言われているが、それはチッソに限った話で、どうもリン酸、カリ、マグネシウムなどは施肥した方がいいのではないかと考えていた。ただし昨年あたりもTさんに肥料はやっちゃいけないと言われて施肥できなかった。たまたま今年は共同栽培でなく個人栽培となったので、実はN原の西半分の北半分15通りにはリン酸、カリ、マグネシウムの3種類を混合したものを施肥し、南半分15通りは無肥料とした。畑の東側、Fさんの西瓜が植えられた場所の南に13通りにもリン酸、カリ、マグネシウムの3種類を混合したものを施肥。
その結果がこの恐るべき収量となったのか、たまたま天候に恵まれて豊作となったのか。
来月くらいになれば各地が豊作かどうか判明するだろうが、何とも粒揃いが良くて、ながめているといい気持ち。
ちょっと磨きをかけて、近々画像をアップします。
それにしても疲れました。

2011年10月19日水曜日

疲労困憊

また週末に雨という天気予報なので、やり繰りしてN原のソバ脱穀に出動。
ソバ栽培のなかでいちばんきつくてバカらしくて、もう来年はソバを作るのはやめようと思う作業である。
終日、弥生時代人となって棒をソバの山に打ち下ろす。朝の内はやや落ちにくかったが、昼頃からは叩く度にバラバラとソバの実が散る。
結局、一日では終わらず、N原の西半分だけ脱穀し、篩い、唐箕をかけて精選されたソバの実を袋に入れて帰宅。家で計量してみると、合計で211,5kg。何ともすごい量である。昨年はTさんと同じ西側半分を播種して、確か、176,5kgだったはず。35kgの増収。Tさんと地主さんに上げる分が増収出来てしてしまった。しかし、東側に残っている分、13通り分が残っているのが何とも気が重い。今週はもう時間が無い。
入浴して腰に湿布を貼った。来年はこんなにたくさんのソバを栽培するのはやめ、自分が食べるだけにしよう。というか、Tさんにこの畑は来年は作りませんと言おう。

2011年10月17日月曜日

豊作の予感

一昨日、短時間の降雨はあったが、昨日の好天と適度な風でどれくらい乾燥したか、N原のソバを見に行ってみた。今日の天候がやや薄曇の気味があり、風も吹いていないため、まだ若干の湿気を感じた。試しに軽トラに少し載せて帰宅し、庭でコンパネに叩きつけて脱穀してみた。
バラバラ、結構たくさんの実が落ち、豊作の予感。


結局、両手で抱えて持てるくらいの束で、唐箕にかけたソバが5,8kgもあった。すごい。乾燥させても5kgを下回らないだろう。さすが信濃1号。この感じだと200~300kgくらい獲れてしまうかも。信濃1号でも手刈り、天日干しなのでそんなに不味くはありません。
また、二日間乾燥させた花園1,3号地のN在来は合計で41kg。50kgは無かった。やはり小粒だと収量は少ないが、まだ宅地二区画分の2号地が残っているので、同じくらいの収穫があるだろう。
じきに製粉、試食してみて、手元にN在来を残すかどうかを決めることにします。

T在来とK在来も実はついてきましたが、まだ緑色で黒い実はわずかです。どうか、もうしばらく強い霜が降りませんように。
それにしてもK在来の小粒なこと。データで1000粒重が20gを切っていたくらいだから小さい。椎葉や祖谷より小さいのではないか。味はどうか? 

2011年10月14日金曜日

雨が降る前に

雨が降りそうなので急遽、花園1,3号地のN在来の脱穀。棒で叩き始めたが朝の内は落ちにくいので、軽トラの横にブルーシートを敷き、コンパネを立てかけ、そこに直接ソバを叩きつける方法に変更。野球のバットを振る感じで腰を伸ばしたままなので楽だが、N原のように大面積のソバはこの方法だと体がもたないだろう。
唐箕で精選までしたが、まだ水分が多いので天日乾燥してからでないと計量はできない。やや小粒な種類なので多収は無理だろうが、宅地二画分で50kg近くはありそう。

2011年10月13日木曜日

何だか忙しい

相変わらず本業以外で忙しい。
今日も出かけようとしたら母親が千葉の弟にプルーンのジャムを送るという。どうせ送るのならルバーブのジャムも送った方がよかろうということで、急いで菜園に行って2kgほど赤い茎を選んで採取。



仕上げに必要なレモンがないので買って来て、ジャムにするのは母親に任せて仕事に出かけた。忙しい。

2011年10月12日水曜日

ルバーブと石臼

Tさんが白菜をあげるというので、いただきに行く途中、菜園に寄って赤いルバーブを1kgほど採ってTさんに届けた。器用なひとなので大丈夫。というか、ルバーブのジャムは男でも簡単に出来る。

ほかに必要なものがあってホームセンターへ行ったので、電動工具の売り場へ行って探すとミニ・ルーター用のダイヤモンド・カッターがあった。シャフトをみるとミニ・ルーターでなくても電気ドリルのチャックに固定できそうだったので購入し、早速電気ドリルに装着して回転させ、石臼の溝と溝の間に筋を入れてみた。結構いい感じに石の表面が荒れる。ビシャンで点々と荒らすのが良いか、両刃タタキやダイヤモンドカッターで筋をつけて荒らすのが良いのか、判断はつかないが、いずれにしてもつるつるよりはましだろう。主溝や副溝など溝を彫ることばかりが目立てではなく、その間の面をドレッシングするのも大事であるらしい。

2011年10月11日火曜日

男のレシピ:そば粉のパンケーキ

ようやくN原の信濃1号と花園1,2,3号地のN在来の刈り取りが終了。
どちらも、置く場所に困るほど刈り取ったそばの束が多い。かなりの豊作となる?

所用でTさんを訪ねると「珍しいものがあるから上がって」と言われ、お茶をいただく。
「珍しいもの」というのは、このそば粉のパンケーキ様のもの。


そば粉と小麦粉が7:3で、ほかに重曹と砂糖少々、これを水でこねてひと晩寝かせてからフライパンで可能な限りの弱火で時間をかけてじっくり焼いたものだという。
一切れ、Tさん手作りのブルーベリー・ジャムを付けて試食。素朴だがおいしい。
そば粉が余っているので作ってみたらしい。ひと晩寝かせないとふんわりしないで固くてダメだという。なるほど、近日中に真似してみよう。
そういえば、Tさんの娘さんが赤いルバーブジャムなら欲しいけれど、緑色のなら要らないと言ったという。今月後半にはかなり茎が赤くなるのでジャム用にTさんにあげよう。Tさんならジャムでも何でも作れますので。

Tさん宅からの帰路、すぐ近くの菜園のT在来を見回り。草丈2mで倒伏しつつも、まだ花盛り。
やはり野菜の跡地でチッソ分が大量に残っているのは、そば栽培には最大のマイナス要因だろう。とりあえず来年度用の種子さえ確保できればよしとしよう。


黒化はしていないが、緑白色の実は確認できるようになって来たので、まったく収穫できないわけではなさそう。

次は別の場所のビニールハウス内のK在来。ハウス内なのでミツバチなど昆虫の訪問が少ないような気もするし、温度も外よりやや高めだろうことがマイナス要因として考えられる。

こちらは少し黒い実が見えはじめているが、受粉しないまま枯れた花もあり、花びらの中から緑白色の若い実が口を尖らせて顔を出しているものもあり、面白い。ひとつの花房のなかでもこれだけ時間差がある。これも種子確保だけで十分。

2011年10月9日日曜日

画期的方法

連日、ソバ刈りと稲刈りに追われて疲労の極致。昨日、今日は妻の実家のお手伝い。留守中、妻はひとりでソバ畑に行き、5通り近くを手刈りしたという。ということは、あと8通りで大面積のN原の刈り取りが終了となる。残るは花園2号地(宅地二区画分)のN在来。T在来とK在来は採種用で小面積なので問題ない。
問題は脱穀だが、昨年までTさん指導の下で行ってきたブルーシートの上に積んで棒で叩くという縄文、弥生時代からの方法はある程度の人手を必要とし応援無しでは不可能なので、好天が続いていることだし、稲を脱穀する自走式ハーべスターでの脱穀をテストしてみることにする。これだったら、ひとりふたりでもできる。ただし乾燥がよくて機械の網や繰上げ装置がソバの茎や葉で詰まらないことが絶対条件となる。生乾きだとおそらく詰まる。よく乾燥している状態ならOKだろうから、ものは試しでやってみようと思う。

それから、石臼の目立ての方法について、ネット上のあるブログ記事でミニルーター用のダイヤモンドカッターを使うという画期的方法を発見。ディスク・グラインダー用のダイヤモンドカッターでは厚みが2mmとかあって、主溝や副溝を彫るのには使えても、その主溝や副溝の間の山というか丘の細かい溝をつけて、いわゆるドレッシングするのには使えなかった。しかしミニルーター用のダイヤモンドカッターは直径は20mmとか25mmだが、厚みは0,6mmという薄さなので、石臼の目を立てるのに使えそうである。石工職人さんが両刃タタキで繊細な溝を刻んだのを、電動工具の先端部品で出来るのであれば、まさに画期的である。

2011年10月7日金曜日

広すぎるソバ畑

霜害でソバの葉がだいぶ落ちてしまい、また黒化率も70%以上になってしまいましたので、予定より一週間早いですが、ソバ刈りをはじめました。お手伝いは1名のみ。ふたりで夕方までに西半分を刈りました。驚異的ですが、ふたりとも夜は腰に湿布を貼って早めに就寝しました。
これで一年間、何か事あるごとに「ソバ刈り手伝ったでしょ」と威張られそうです。
来年はこんな無謀なソバ栽培はやめて、自分が食べるだけにします(泣)。


2011年10月6日木曜日

ソバの成熟が急いだらしい

午前11時近く、Tさんからお茶を飲みに来ないかという電話。ちょうど仕事が一区切りついたところだったので、車で数分のTさん宅へ向かった。Tさんの家に通じる道を右に曲がる、その左手に毎年ソバが栽培されていて、通るたびに自分のソバの成長と比較観察しているのだが、今日は驚いた。そのソバは私のソバより5日くらい播種が遅かったはずだが、白いソバの花がまったく見えず、しかもまだ緑のはずの葉が変色してぐたっとなっているのである。数日前の低温、多分霜の害である。10月初めの霜なんて珍しいことだが、我が家とTさんのサトイモの葉はやはり低温の害で変色している。
しかしそこから100mくらいしか離れていない我が家の家庭菜園のT在来はといえば背丈2mにもまってまっすぐは立っていないが、横に寝たまま未だに白い花を咲かせていて、霜に遭った様子も見えない。しかもまだ色は緑だが、だいぶ着果もしてきている。
信濃1号は中間型、T在来は完全な秋型。どちらが霜に強いのか弱いのか?

午後いちばんに訪問しようとしていた家から夕方にしてくれという電話が入ったので、急遽予定変更して花園3号地に出かけ、N在来を稲刈り鎌で手刈り。ここも宅地一戸分の面積なので多分60~70坪くらいだが、一時間50分で終了。
畝間が80cmと広いので、手刈りだが思ったより捗る。
夕方、仕事先から帰宅途中に位置するN原のソバ畑に、霜害に遭っていないかを確認するために回ってみた。
そして驚いた。こちらも白い花は見えなくなってきているが、黒化したソバが目立っていて、もう刈り頃な感じだ。
日数は今日で63日なのでまだ刈り取りには早いのだが、この頃の低温続きで一気に実が充実したらしい。計算上は今月半ばの刈り取り予定だったが、早すぎて慌ててしまう。
コンバインでの収穫ならばまだ緑の葉がこれだけある状況では早すぎるだろうが、手刈り、天日乾燥では黒化率70%くらいが刈り頃といわれているので、まさに刈り頃ではないか。いや、見た目では70%を超えているような気さえしてくる。



刈り遅れて風味が落ちるのは困るので、いっそ刈ってしまおうかと思うが、土日は稲刈りの手伝いを頼まれている。面積が大きいので、明日と10日に半分ずつ分けて刈り取り作業をした方がいい。うーん、何ともきついスケジュール。ここは鎌で手刈りは無理なので、草刈り機で刈り払ったものまとめるという方法で進める。

2011年10月4日火曜日

ただの雑草のよう

ここ数日、どうもただならぬ寒気と思っていたら、花園3号地のソバの北側に植えたサトイモの葉が変色していた。霜、あるいは寒気のせいであるらしい。
信濃1号とN在来はこの地の気候には合っているが、T在来とK在来は暖地の産で完全な秋型であるので、まだ花盛りが続いていて、このまま強い霜に遭遇したら種も採れずに終わってしまう可能性もある。

朝の内、早刈りする予定だった花園1号地のN在来を手刈りした。宅地一個分で、隅に長ネギとルバーブを植えてあるのでソバはほぼ50坪くらいだが、一時間三十分ほどで刈り取り終了。
刈って寝かせてみると、何だかただの雑草のようにしか見えない。これで10kg、20kgのソバの実が付いているのだろうか。


もっとも面積の多いN原の信濃1号は半ば頃が刈り取り適期だが、強い霜が降りれば刈り取りを早めなければならない。今年の気候も結構極端なので心配。