しろうとが、ああだこうだと、いろいろ愚行錯誤(!?)しております。

2011年3月30日水曜日

夜なべの蕎麦打ち

 夕食後、仕事疲れで二十分ほどうたた寝し、熟睡した。
 目が覚めて、はたと、昨日頂戴してきた「寒ざらしソバ」を思い出してしまった。
 色白で微粉なのであまり気が乗らないと言いながらも気になるので、200gの試し打ちをしてみることにして、いつもソバを切るのに使っている板で延すことにした。ネットで複数の方がされている少量のソバ粉で打つ方法である。45cm長さ90cmの細長い板の形に合わせて細長く延す。
 先ずは「寒ざらしソバ」100%、200gに100ccの水を用意して水回し。わ、水がまとまって落ちた場所のソバ粉がどろどろで泥か粘土のよう。100メッシュ、いや120メッシュの篩を通しているのか? それでも何とか水回しを終了し、捏ね、延し。加水量91cc。
110330sobanoshi.jpg
 2枚では切りにくいので4枚たたみ。
110330sobatatami.jpg
 少量だと延すのも細く切るのも簡単であることを発見。
110330sobakiri.jpg
 切り終わって、これで所要時間15分。なるほど、自分が食べるだけの量だったら15分で蕎麦打ち出来る。いつでも蕎麦が食べられる。
 ということで、これだけ微粉の「寒ざらし蕎麦」では風味が心配なので、もう一回、「寒ざらしソバ」150gに「自製甘皮粉」を50g混ぜて、もう一回200g打ち。こちらは加水量94cc。
 めでたく十割蕎麦の完成です。やはり微粉だと誰でも十割蕎麦が打てます。(風味は製粉の仕方で変化します)
110330soba2syu.jpg
 この2種類の蕎麦を真空パック用のビニール・ポリ二重袋に封入し、冷蔵庫へ。試食は明日。ひと晩寝かせるとおいしくなるというひともいるが、それはどうか?

 ダッタンそば粉をお湯で溶いて飲み、血圧を測る人体実験、2月5日より継続中。今夜は117-76。
 降圧剤を飲んでいるのだが、ダッタンソバを飲み始めて130台から120台、さらに110台へ、これ以上下がると、どういうことになるのだろう。

2011年3月29日火曜日

いただきものふたつ

 いよいよ仕事が繁忙期に入って来たが、微妙に大地震、大津波の影響が感じられる。まだ表面化はしていないが、関係する工場の生産が停止して来ない品物が判明。需要期の当用に間に合わないものも出て来るかもしれない。
 
 Tさんの家に打ち合わせに行って、ふと庭に目をやると赤松と一位の間に何と石臼がふたつも。
 ところが、このふたつが上臼、下臼ではなく、ふたつとも上臼。下臼は凹みがないので漬物石に身をやつしているのかもしれないが、療養中のTさんに下臼の行方を訊ねるのはやめておいた。
 目に入った上臼のひとつは33cm、もうひとつは30cmだが、30cmの方は形も悪く、溝もあるかなきかの状態で使い物になりそうもない。
 とりあえず33cmの方を、先に妻の実家から救出して来た33cmの下臼に合わせてみようと借りて来た。電動化は繁忙期を過ぎてからなので、今は倉庫に重ねてながめているだけ。先に漬物石の身の上から救出して来た30cm物は、芯棒の固定に古いセメントを使って固まらず失敗したので、22mmの鉄パイプに20mmのシャフトを入れ、22mmのパイプと芯棒の穴との間の若干の隙間は布かテープを巻いて処理し、穴の下から丸い木の棒を叩き込む。碾き割りをするために上臼を若干浮かせたい場合は、上臼の穴と芯棒の間に百円玉など、金属の丸い板を挟んでみるか、穴の下に叩き込んだ木を上げ下げすることで間隔を調整したい。
 それでとりあえずは一尺の手碾き臼の再生終了となるが、6月になるまでは、落ち着いて作業する時間がない。
 今日はまた、Nさんの家で寒中の水に十日ほど晒した玄ソバを乾燥、製粉したという「寒晒しソバ」の粉を1kg強、頂戴した。皮が混じらず、色白なのでむきみを碾いたものかと思うが、皮むき機があるのだろうか? かなりの微粉なので十割でも簡単に打てそうなソバ粉だが、見るからに風味が無さそう。粉がふわっとしているのは電動の石臼で碾いたものかもしれないが、おいしいところを捨ててしまったのか。お湯で溶いて蕎麦湯にしてみた。味は弱いがまったくしないでもない。残念なことに、香りはほとんどしない。好みが違う感じがする。

2011年3月28日月曜日

ジスク・グラインダー

 午後、ホームセンターの近くを通ったので、寄ってDIY用の安いジスク・グラインダーとそれに取り付けて使うダイヤモンド・カッターを購入。発掘した石臼の表面を削ってきれいにしたり、溝を彫るのに欠かせない道具だが、ほかには錆び落としに使うくらいなので本職用の高価なものは要らない。
 モーターの選択にまだ迷いあり。減速の方法と一体化した問題なのだが、時間はたっぷりあるのでまだ迷っていてもいい。

2011年3月22日火曜日

仕事に追われながらも

 夕方、いったん帰宅したらM君が市内の蔵元の限定純米酒を一本届けてくれた。いつもごちそうさまです。
 事情を話して今年のソバ栽培の手助けを依頼したら、種蒔きから脱穀まで一連の作業をしてみたいというので助かりました。

 そろそろ、モーターの選定をしなければならない。モーターが決まらないとモーターのシャフトと駆動シャフトをつなぐカップリングが決まらない。素人には難しいので、中古モーターは諦めて、モーターとカップリングは新品で進めることにした。あとは台と供給装置。台は難しくないが、供給装置はじっくり考えないとどうしていいのか分らない。

2011年3月13日日曜日

旧約聖書的あるいはギリシア悲劇的

 とにかく今は目に焼きつけ、胸に刻み込むだけ。 
 自然災害の圧倒的な暴虐は、さながら旧約聖書的あるいはギリシア悲劇的な災厄を現前させている。

2011年3月12日土曜日

備忘

勤務先と宿舎が同じ敷地にある長男から固定電話で無事の連絡が入る。
 二男は勤務先の立川から中央線で7駅東に戻ればいいのだが、京王線、井の頭線経由で吉祥寺に戻り、後は徒歩で午前2時30分に帰宅。
 千葉市に住む弟は有楽町から千葉には戻れず、丸の内に勤める長男と合流した後、地下鉄と6km歩いて松戸の長男の家に到着。午前2時。
 

2011年3月11日金曜日

記録

 2011年3月11日午後2時46分、震度7、マグニチュード8,8(後9,0に訂正。日本で過去最大)。
震源地、三陸沖。
当地では震度5弱。ゆっくりながら横揺れの幅が大きく、二階建て部分から一階立て部分に移動する。
津波、東北地方の太平洋岸を襲う。鉄筋の建物以外、個人の住宅、車、ビニールハウス、農地、みな破壊され、押し流される。

2011年3月10日木曜日

人間の些細な言動をも


 まさにピアノの、音の雫。
 エリック・サティとビル・エヴァンスのピアノは、われわれ人間の心の水面に落ちる音の雫ではないかと思う。
 誰しも人生に一度くらいは何かに物狂いすることがあるのだから蕎麦狂いも決して悪くははないが、この頃つくづく、短くてもいいからピュアな小説が書きたくなっている。
 ピュアな小説という言い方は一種の形容矛盾である。小説は猥雑な存在である人間を鏡のように映し出す猥雑な言語芸術であって、ピュアであるはずもない。にもかかわらず、どうも最近そういう猥雑であるべき小説にうんざりしている自分に気づいて、ギョッとしたりしている。
 小説は人間の些細な言動をも如実に描いてこそ成立する散文芸術なのだろうけど、どうもそれが今風に言えばウザったい。むしろ、些細なものを削って削って残ったものだけ書き留めておきたい。
 って、それって小説としては痩せることであって、むしろ「詩」に近づくことじゃないの

2011年3月8日火曜日

文系頭の危ない工作

 モーターの回転数の減速方法についてあれこれ検索している。
 
1 モーターと希望する回転数に適合する減速ギヤをセットで購入する。
2 コンデンサー(誘導)モーターには、周波数を変えるインバーターで回転が変えられる。
3 ブラシモーターであれば、昨年秋に電動篩い装置を自作した時に購入したスピード・コントローラーで回転を落とせる。
 3のスピードコントローラーで回転を落とした場合、トルクが落ちないか心配で調べたが、トルクを保持したまま回転を落とすらしい。
 妻の兄が、勤めていた工場が破産した際に給料代わりに受け取ったモーターを複数所有しているらしいので、それらがスピードコントローラで回転数が落とせるブラシモーターであるか否か、適当な出力のブラシモーターだったら、スピードコントローラを持って行ってテストしてみよう。
 スピードコントローラでの回転数制御がダメだったら、1の方法で電動化を進めることになる。実際、1の方法で電動化し、オークションに出品しているひとがおり、この方法が構造も簡単で文系頭にはいちばん解りやすく、無難かもしれない。
 価格的には3番がいちばん安上がりかもしれないが。
 いずれにしても文系頭で理科系工作をするのは、闇夜を明かりも持たずに歩くようなもので、手探りです。
 そういえば、妻の実家の庭にも石臼の下臼が転がっていたので、上臼は無いかと訊ねたら納屋のなかの漬物の樽の横にあるといい、持ち出して洗って来てくれた。が、それも下臼であって、庭の下臼とセットのものではなかった。残念。ただし、庭の下臼、直径尺一寸(33センチ)だが、素材の石が細かい穴がびっしりでなかなか良さそうな感じがする。義兄はそれだけでも持っていけと言ったが、上臼がないから要らないと答えて帰って来た。しかし、あの細かい穴、わが家の安原石(安山岩)とは異なる石で、まさか希少な蟻巣石ではなさそうだが、何石なのか大いに気にかかる。今度行ったら、あの下臼だけでもいいから貰って来よう。
 この頃、仕事で農家に行くとつい庭や軒下に目線が行ってしまい、すっかり挙動不審なおじさんである。案外、泥棒と同じ目つきかもしれない。

2011年3月6日日曜日

何とも不器用なひと

 昨日、漬物小屋の軒下から救出して来た石臼で、少しソバを碾いてみた。ふわっとしたいい粉に仕上がった。わが家の石臼より精度が良さそう。(わが家にもともとあった石臼は「ふくみ」の部分が大きいので、どうも大豆など大粒のものを碾くのに適しているらしい)
 ただし、下臼のシャフトを固定したモルタルが古いものだったので、きちんと固まっていない。ぼろぼろ崩れる感じなので、マイナスドライバを使ってすべてかき出した。やはりモルタルで固めるのは☓であった。元来が、木の棒を埋め込んで、そこに下が楔型のシャフトを打ち込んであったのだから、手碾きするならその通りに復元すべきだろう。
 その下に木の丸棒が入っているのも取り出してしまうと、30mmくらいの穴が下まで貫通している。この穴にシャフトを通せば電動化も可能だ。手碾きは大変なので、結局は電動化した方がいいだろう。春は忙しいので、モーターなど、部品を探しておいて、夏以降に電動化しよう。それまでにせいぜい電動化の研究。

 妻が、県内の会合にでかけて、帰路、転んで右足を痛めた。厄日である。
 新幹線駅に迎えに出て、駅の車椅子を借りて駅前ロータリーまで運び、車に乗せて近くの総合病院の救急外来へ。レントゲン撮影の結果、右足外側(小指側)の骨にひびが入っていることが判明。簡単な固定処置と鎮痛剤だけで、明日、再度、成形外科へ行くことになった。
 松葉杖が出たが、うまく使えない。何とも不器用なひと......。

2011年3月5日土曜日

別の石臼救出作戦

 このところ毎日、息子が「石臼石臼」とうわ言を言うので、母親が、二十年前か三十年前かに親戚筋のさる家で目撃したのを思い出し、念のために電話をかけてみた。すると、取っ手は無くなっているが臼は漬物石に使っていて、今は裏庭の軒下に転がっているという返事だという。しばらく借りるか、出来れば譲っていただきたいと言うと、使えるかどうか、とにかく現物を見に来いというので車で3分くらいの家に行った。確かに裏庭の軒下に転がっていた。
 それで、頂いてきたのがこれ
110305ishiusu1.jpg
 石の材質はこの地の安山岩で安原石。安山岩は、御影石などに比べると見た目は良くないが、空気の穴がたくさんあるので熱を持たなくていいのだという。
 直径は一尺(30cm)で、再生したわが家のおんぼろ石臼が尺一寸(33cm)が大きくて重すぎるので、願ってもない、理想通りの大きさである。
 ただし、漬物石として使われてきた履歴から、下臼の芯の鉄製の棒がかなり錆びて痩せてしまっているので、このままでは下臼の軸と上臼の軸受けの間の遊びが多すぎ、上臼を回転させてみると前後左右の振れが大きくて使えない。
 そこで、軸と軸受けをそっくり入れ替えることにして穴から掘り出した。下臼の軸は20mmの鉄の棒がいいらしいが、自宅の物置には10mm、25mmの棒しか見つからない。プレス工場を営む従姉の家に行って訊ねたら溶接工場のどこかから20mmの棒を探してきてくれた。ついでにカッターで長さもこちらの希望通りに切断していただく。
 それを、高さを調整して隙間をモルタルで埋めたのがこれ
110305shitausu1.jpg
 上臼の軸受けには乗用車用より一回り太いプラグ・レンチの直径がぴったりな感じなので切断して穴に入れてみた。
110305uwausu1.jpg
110305uwausu3.jpg
 少し隙間があるので、自転車のチューブを切って外側を覆うようにし、接着剤をつけて軸受けの穴に入れてみた。ジャスト・フィット。少しの間隙には接着剤で穴埋めしておいた。
110305uwausu4.jpg
 後は石臼を廻す取っ手の製作して終了。
110305ishiusu2.jpg
 おお、こうして横から見るといかにも石臼然としています。
 後日、接着剤やモルタルが十分に乾いてから、見栄えが良くなるように石の表面を研磨したり、溝の調整をすればいいが、それは少し試し碾きをしてみないと判断がつかない。
 やれやれ、これでこの秋には手碾きのソバ粉が碾けますw。
 電動石臼製作用にもうひとつ確保しておきたいところだが、やはり先日の庭の踏み石が気にかかる。あれはほんとうにきれいな溝だった。

2011年3月4日金曜日

畏るべし、大根おろしの効用

 三寒四温などという生やさしい気候変化ではない。今朝はマイナス十数℃。

 午後、来客があって応対で4時半ころまで動けず。もう仕事にならないので5時過ぎから道具を出して蕎麦打ち開始。気の迷いで10割にして600g、しかも最初は湯で、以後は水でという今までしたことのない加水をしてみたが、後の水をかなり加減したつもりだが柔らかすぎた。ほぼズル玉である。湯捏ねの場合は加水量は大幅に少なくなることを肝に銘じた。
 何とか延したが、やはり柔らかめだと庖丁にくっついて切りにくい。道具を片付け終わって5時45分。
 6時30分。茹でて、家人2名はこの寒さで温かいそばがいいというのでちょうどあったナメコを使ってナメコ蕎麦。残る男子1名はこの頃はまっている「越前おろし蕎麦」風にねずみ大根、刻みネギ、カツオ節をどっさり載せ、そこに辛汁をかけていただいた。ねずみ大根の辛味、畏るべし。かえって、舌が大根おろしで洗われたかのように、また敏感に蕎麦の風味、甘味、喉越しを感じるのが不思議。

2011年3月3日木曜日

石臼救出作戦

 昨日書いた、庭に埋められて踏み石になった石臼が昨夜の夢に現われた。
 昼間、仕事をしていても、あの6分画6溝の美しい幾何学模様が幻のように目の中に映っていたりして、どうも、また怪しい症状が出現したものである。
 ついには、近い将来、自分がその石臼で在来種の蕎麦を手碾きしている姿まで見えて来て、悩ましいったらありゃしない。
 石臼にひと目惚れするなんてこと、あるのだろうか? 土の中に埋もれて救出されるのを待っているようにさえ見えるのである。「田紳有楽」(藤枝静男)を思い出してしまいました。
 しかし、長年のつきあいがある家だから余計にむずかしい。いくら庭の踏み石にしてあるとはいえ、他人が譲って欲しいといえば譲りたくなくなるのが人情である。こじれたら長年の仕事上のお付き合いがパーであるから、積極的になれない。なれないから夢にまで出てきてしまう。妙なストレスである。

2011年3月2日水曜日

悲しき庭の踏み石

 午前中、仕事である家を訪ねたが、用件が済んで玄関から車を置いた場所へ戻ろうとして、ふと足下に点点と置かれている踏み石のひとつが目に入った。石臼ではありませんか。そのひとつ置いた先にももうひとつ。直径が同じなので、どうやら上臼と下臼らしい。滑り止めになるということで、溝の切られている面が上に向けられていて、しゃがみ込んでじっと見入ってしまった。直径が30cmはなく、やや小さめの臼だが、6分画6溝の幾何学模様が実にきれいである。ただの踏み石にしておくにはあまりに美しくもったいない。わが家の石臼よりずっと精巧に出来ているし、臼の面が真っ平である。わが家の再生した石臼は臼の中心が丸く盛り上がっていて、上臼とした臼の間の「ふくみ」という隙間部分が大きい。多分、実の大きな大豆などを碾くための臼だろう。それに比べて、その踏み石になっていた臼は平らで「ふくみ」の間隙がそれと分らないくらい小さい。しかも溝がきれい。うーん、こういう臼が欲しかった。こういう石臼で碾けばソバもいい粉になる。こんな場所に埋められていては不本意であろう。ジーンと来た。戦後不要となった石臼が、今でもあちこちの家の庭の踏み石になっているのだ。
 お孫さんふたりがインフルエンザで小学校を休んでいるということで玄関先で立ち話をしたくらいなので、今日は無理だと判断。また後日お伺いして、譲っていただけないか訊ねてみよう。代わりの踏み石を持参してもいい。

2011年3月1日火曜日

ダッタンそばの粉のそば湯

 仕事の取引先の社員であるSさんにダッタンそばのことを話したら、飲んでみたいので取り寄せてほしいというので先日オーダーし、今日、配達された。
 Sさんにふた箱、ついでに自分の分も一箱。
 ダッタンそばをお湯に溶いて飲み、血圧を計測する。今日で25日経過した。一回に5gなので500g入れだと100日分。もう一箱追加したので200日続行することになる。200日だとまだ自分で播いたダッタンそばは花盛りの頃か、まだ収穫は出来ない時期かな。
 いかにルチン、ケルセチンが多いとはいえ食品に過ぎないのだから、そう簡単に効果が現われると思ってはいけない。
 ただし、ずっと125-80前後で推移していて安定している。