しろうとが、ああだこうだと、いろいろ愚行錯誤(!?)しております。

2011年3月2日水曜日

悲しき庭の踏み石

 午前中、仕事である家を訪ねたが、用件が済んで玄関から車を置いた場所へ戻ろうとして、ふと足下に点点と置かれている踏み石のひとつが目に入った。石臼ではありませんか。そのひとつ置いた先にももうひとつ。直径が同じなので、どうやら上臼と下臼らしい。滑り止めになるということで、溝の切られている面が上に向けられていて、しゃがみ込んでじっと見入ってしまった。直径が30cmはなく、やや小さめの臼だが、6分画6溝の幾何学模様が実にきれいである。ただの踏み石にしておくにはあまりに美しくもったいない。わが家の石臼よりずっと精巧に出来ているし、臼の面が真っ平である。わが家の再生した石臼は臼の中心が丸く盛り上がっていて、上臼とした臼の間の「ふくみ」という隙間部分が大きい。多分、実の大きな大豆などを碾くための臼だろう。それに比べて、その踏み石になっていた臼は平らで「ふくみ」の間隙がそれと分らないくらい小さい。しかも溝がきれい。うーん、こういう臼が欲しかった。こういう石臼で碾けばソバもいい粉になる。こんな場所に埋められていては不本意であろう。ジーンと来た。戦後不要となった石臼が、今でもあちこちの家の庭の踏み石になっているのだ。
 お孫さんふたりがインフルエンザで小学校を休んでいるということで玄関先で立ち話をしたくらいなので、今日は無理だと判断。また後日お伺いして、譲っていただけないか訊ねてみよう。代わりの踏み石を持参してもいい。

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