まさにピアノの、音の雫。
エリック・サティとビル・エヴァンスのピアノは、われわれ人間の心の水面に落ちる音の雫ではないかと思う。
誰しも人生に一度くらいは何かに物狂いすることがあるのだから蕎麦狂いも決して悪くははないが、この頃つくづく、短くてもいいからピュアな小説が書きたくなっている。
ピュアな小説という言い方は一種の形容矛盾である。小説は猥雑な存在である人間を鏡のように映し出す猥雑な言語芸術であって、ピュアであるはずもない。にもかかわらず、どうも最近そういう猥雑であるべき小説にうんざりしている自分に気づいて、ギョッとしたりしている。
小説は人間の些細な言動をも如実に描いてこそ成立する散文芸術なのだろうけど、どうもそれが今風に言えばウザったい。むしろ、些細なものを削って削って残ったものだけ書き留めておきたい。
って、それって小説としては痩せることであって、むしろ「詩」に近づくことじゃないの
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