しろうとが、ああだこうだと、いろいろ愚行錯誤(!?)しております。

2011年3月11日金曜日

記録

 2011年3月11日午後2時46分、震度7、マグニチュード8,8(後9,0に訂正。日本で過去最大)。
震源地、三陸沖。
当地では震度5弱。ゆっくりながら横揺れの幅が大きく、二階建て部分から一階立て部分に移動する。
津波、東北地方の太平洋岸を襲う。鉄筋の建物以外、個人の住宅、車、ビニールハウス、農地、みな破壊され、押し流される。

2011年3月10日木曜日

人間の些細な言動をも


 まさにピアノの、音の雫。
 エリック・サティとビル・エヴァンスのピアノは、われわれ人間の心の水面に落ちる音の雫ではないかと思う。
 誰しも人生に一度くらいは何かに物狂いすることがあるのだから蕎麦狂いも決して悪くははないが、この頃つくづく、短くてもいいからピュアな小説が書きたくなっている。
 ピュアな小説という言い方は一種の形容矛盾である。小説は猥雑な存在である人間を鏡のように映し出す猥雑な言語芸術であって、ピュアであるはずもない。にもかかわらず、どうも最近そういう猥雑であるべき小説にうんざりしている自分に気づいて、ギョッとしたりしている。
 小説は人間の些細な言動をも如実に描いてこそ成立する散文芸術なのだろうけど、どうもそれが今風に言えばウザったい。むしろ、些細なものを削って削って残ったものだけ書き留めておきたい。
 って、それって小説としては痩せることであって、むしろ「詩」に近づくことじゃないの

2011年3月8日火曜日

文系頭の危ない工作

 モーターの回転数の減速方法についてあれこれ検索している。
 
1 モーターと希望する回転数に適合する減速ギヤをセットで購入する。
2 コンデンサー(誘導)モーターには、周波数を変えるインバーターで回転が変えられる。
3 ブラシモーターであれば、昨年秋に電動篩い装置を自作した時に購入したスピード・コントローラーで回転を落とせる。
 3のスピードコントローラーで回転を落とした場合、トルクが落ちないか心配で調べたが、トルクを保持したまま回転を落とすらしい。
 妻の兄が、勤めていた工場が破産した際に給料代わりに受け取ったモーターを複数所有しているらしいので、それらがスピードコントローラで回転数が落とせるブラシモーターであるか否か、適当な出力のブラシモーターだったら、スピードコントローラを持って行ってテストしてみよう。
 スピードコントローラでの回転数制御がダメだったら、1の方法で電動化を進めることになる。実際、1の方法で電動化し、オークションに出品しているひとがおり、この方法が構造も簡単で文系頭にはいちばん解りやすく、無難かもしれない。
 価格的には3番がいちばん安上がりかもしれないが。
 いずれにしても文系頭で理科系工作をするのは、闇夜を明かりも持たずに歩くようなもので、手探りです。
 そういえば、妻の実家の庭にも石臼の下臼が転がっていたので、上臼は無いかと訊ねたら納屋のなかの漬物の樽の横にあるといい、持ち出して洗って来てくれた。が、それも下臼であって、庭の下臼とセットのものではなかった。残念。ただし、庭の下臼、直径尺一寸(33センチ)だが、素材の石が細かい穴がびっしりでなかなか良さそうな感じがする。義兄はそれだけでも持っていけと言ったが、上臼がないから要らないと答えて帰って来た。しかし、あの細かい穴、わが家の安原石(安山岩)とは異なる石で、まさか希少な蟻巣石ではなさそうだが、何石なのか大いに気にかかる。今度行ったら、あの下臼だけでもいいから貰って来よう。
 この頃、仕事で農家に行くとつい庭や軒下に目線が行ってしまい、すっかり挙動不審なおじさんである。案外、泥棒と同じ目つきかもしれない。

2011年3月6日日曜日

何とも不器用なひと

 昨日、漬物小屋の軒下から救出して来た石臼で、少しソバを碾いてみた。ふわっとしたいい粉に仕上がった。わが家の石臼より精度が良さそう。(わが家にもともとあった石臼は「ふくみ」の部分が大きいので、どうも大豆など大粒のものを碾くのに適しているらしい)
 ただし、下臼のシャフトを固定したモルタルが古いものだったので、きちんと固まっていない。ぼろぼろ崩れる感じなので、マイナスドライバを使ってすべてかき出した。やはりモルタルで固めるのは☓であった。元来が、木の棒を埋め込んで、そこに下が楔型のシャフトを打ち込んであったのだから、手碾きするならその通りに復元すべきだろう。
 その下に木の丸棒が入っているのも取り出してしまうと、30mmくらいの穴が下まで貫通している。この穴にシャフトを通せば電動化も可能だ。手碾きは大変なので、結局は電動化した方がいいだろう。春は忙しいので、モーターなど、部品を探しておいて、夏以降に電動化しよう。それまでにせいぜい電動化の研究。

 妻が、県内の会合にでかけて、帰路、転んで右足を痛めた。厄日である。
 新幹線駅に迎えに出て、駅の車椅子を借りて駅前ロータリーまで運び、車に乗せて近くの総合病院の救急外来へ。レントゲン撮影の結果、右足外側(小指側)の骨にひびが入っていることが判明。簡単な固定処置と鎮痛剤だけで、明日、再度、成形外科へ行くことになった。
 松葉杖が出たが、うまく使えない。何とも不器用なひと......。

2011年3月5日土曜日

別の石臼救出作戦

 このところ毎日、息子が「石臼石臼」とうわ言を言うので、母親が、二十年前か三十年前かに親戚筋のさる家で目撃したのを思い出し、念のために電話をかけてみた。すると、取っ手は無くなっているが臼は漬物石に使っていて、今は裏庭の軒下に転がっているという返事だという。しばらく借りるか、出来れば譲っていただきたいと言うと、使えるかどうか、とにかく現物を見に来いというので車で3分くらいの家に行った。確かに裏庭の軒下に転がっていた。
 それで、頂いてきたのがこれ
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 石の材質はこの地の安山岩で安原石。安山岩は、御影石などに比べると見た目は良くないが、空気の穴がたくさんあるので熱を持たなくていいのだという。
 直径は一尺(30cm)で、再生したわが家のおんぼろ石臼が尺一寸(33cm)が大きくて重すぎるので、願ってもない、理想通りの大きさである。
 ただし、漬物石として使われてきた履歴から、下臼の芯の鉄製の棒がかなり錆びて痩せてしまっているので、このままでは下臼の軸と上臼の軸受けの間の遊びが多すぎ、上臼を回転させてみると前後左右の振れが大きくて使えない。
 そこで、軸と軸受けをそっくり入れ替えることにして穴から掘り出した。下臼の軸は20mmの鉄の棒がいいらしいが、自宅の物置には10mm、25mmの棒しか見つからない。プレス工場を営む従姉の家に行って訊ねたら溶接工場のどこかから20mmの棒を探してきてくれた。ついでにカッターで長さもこちらの希望通りに切断していただく。
 それを、高さを調整して隙間をモルタルで埋めたのがこれ
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 上臼の軸受けには乗用車用より一回り太いプラグ・レンチの直径がぴったりな感じなので切断して穴に入れてみた。
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 少し隙間があるので、自転車のチューブを切って外側を覆うようにし、接着剤をつけて軸受けの穴に入れてみた。ジャスト・フィット。少しの間隙には接着剤で穴埋めしておいた。
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 後は石臼を廻す取っ手の製作して終了。
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 おお、こうして横から見るといかにも石臼然としています。
 後日、接着剤やモルタルが十分に乾いてから、見栄えが良くなるように石の表面を研磨したり、溝の調整をすればいいが、それは少し試し碾きをしてみないと判断がつかない。
 やれやれ、これでこの秋には手碾きのソバ粉が碾けますw。
 電動石臼製作用にもうひとつ確保しておきたいところだが、やはり先日の庭の踏み石が気にかかる。あれはほんとうにきれいな溝だった。

2011年3月4日金曜日

畏るべし、大根おろしの効用

 三寒四温などという生やさしい気候変化ではない。今朝はマイナス十数℃。

 午後、来客があって応対で4時半ころまで動けず。もう仕事にならないので5時過ぎから道具を出して蕎麦打ち開始。気の迷いで10割にして600g、しかも最初は湯で、以後は水でという今までしたことのない加水をしてみたが、後の水をかなり加減したつもりだが柔らかすぎた。ほぼズル玉である。湯捏ねの場合は加水量は大幅に少なくなることを肝に銘じた。
 何とか延したが、やはり柔らかめだと庖丁にくっついて切りにくい。道具を片付け終わって5時45分。
 6時30分。茹でて、家人2名はこの寒さで温かいそばがいいというのでちょうどあったナメコを使ってナメコ蕎麦。残る男子1名はこの頃はまっている「越前おろし蕎麦」風にねずみ大根、刻みネギ、カツオ節をどっさり載せ、そこに辛汁をかけていただいた。ねずみ大根の辛味、畏るべし。かえって、舌が大根おろしで洗われたかのように、また敏感に蕎麦の風味、甘味、喉越しを感じるのが不思議。

2011年3月3日木曜日

石臼救出作戦

 昨日書いた、庭に埋められて踏み石になった石臼が昨夜の夢に現われた。
 昼間、仕事をしていても、あの6分画6溝の美しい幾何学模様が幻のように目の中に映っていたりして、どうも、また怪しい症状が出現したものである。
 ついには、近い将来、自分がその石臼で在来種の蕎麦を手碾きしている姿まで見えて来て、悩ましいったらありゃしない。
 石臼にひと目惚れするなんてこと、あるのだろうか? 土の中に埋もれて救出されるのを待っているようにさえ見えるのである。「田紳有楽」(藤枝静男)を思い出してしまいました。
 しかし、長年のつきあいがある家だから余計にむずかしい。いくら庭の踏み石にしてあるとはいえ、他人が譲って欲しいといえば譲りたくなくなるのが人情である。こじれたら長年の仕事上のお付き合いがパーであるから、積極的になれない。なれないから夢にまで出てきてしまう。妙なストレスである。

2011年3月2日水曜日

悲しき庭の踏み石

 午前中、仕事である家を訪ねたが、用件が済んで玄関から車を置いた場所へ戻ろうとして、ふと足下に点点と置かれている踏み石のひとつが目に入った。石臼ではありませんか。そのひとつ置いた先にももうひとつ。直径が同じなので、どうやら上臼と下臼らしい。滑り止めになるということで、溝の切られている面が上に向けられていて、しゃがみ込んでじっと見入ってしまった。直径が30cmはなく、やや小さめの臼だが、6分画6溝の幾何学模様が実にきれいである。ただの踏み石にしておくにはあまりに美しくもったいない。わが家の石臼よりずっと精巧に出来ているし、臼の面が真っ平である。わが家の再生した石臼は臼の中心が丸く盛り上がっていて、上臼とした臼の間の「ふくみ」という隙間部分が大きい。多分、実の大きな大豆などを碾くための臼だろう。それに比べて、その踏み石になっていた臼は平らで「ふくみ」の間隙がそれと分らないくらい小さい。しかも溝がきれい。うーん、こういう臼が欲しかった。こういう石臼で碾けばソバもいい粉になる。こんな場所に埋められていては不本意であろう。ジーンと来た。戦後不要となった石臼が、今でもあちこちの家の庭の踏み石になっているのだ。
 お孫さんふたりがインフルエンザで小学校を休んでいるということで玄関先で立ち話をしたくらいなので、今日は無理だと判断。また後日お伺いして、譲っていただけないか訊ねてみよう。代わりの踏み石を持参してもいい。

2011年3月1日火曜日

ダッタンそばの粉のそば湯

 仕事の取引先の社員であるSさんにダッタンそばのことを話したら、飲んでみたいので取り寄せてほしいというので先日オーダーし、今日、配達された。
 Sさんにふた箱、ついでに自分の分も一箱。
 ダッタンそばをお湯に溶いて飲み、血圧を計測する。今日で25日経過した。一回に5gなので500g入れだと100日分。もう一箱追加したので200日続行することになる。200日だとまだ自分で播いたダッタンそばは花盛りの頃か、まだ収穫は出来ない時期かな。
 いかにルチン、ケルセチンが多いとはいえ食品に過ぎないのだから、そう簡単に効果が現われると思ってはいけない。
 ただし、ずっと125-80前後で推移していて安定している。

2011年2月26日土曜日

今日は狸!

 昨日に引き続いて、今日は狸を目撃。ブルーシートに隔てられた1mほど向こうを、何かが歩いてゆくので猫かと思ったが、振り返って視界に入ったその後姿が猫でも犬でもない。向こうも振り返ってこちらを見た。「何見てんだよ」といった表情で私を見ていたが、紛れもなく狸である。わが家の家庭菜園から50mくらいしか離れていない場所なので、あるいはわが家の食べごろになったスウィートコーンやイチゴを食べてしまった狸と同一人物、いや同一狸である可能性が高い。車にカメラを取りに行く間もなく、狸は悠然と土手のニセアカシアの林の向こうに姿を消した。
 田舎とはいえ結構町に近い場所なのだけど、いよいよわが町が荒野になる日も近いのかもしれない。もっとも狸は人家に近い場所に住まいを構えるらしいが。
 何にしてもこの通りはシャッター通りから更に進化(?)して更地通りになりつつあるので、そのうちに猪も鹿も熊も現われるかもしれない。

2011年2月20日日曜日

言葉の酸素不足

 今日は妻の実家へ届けるため、今にしては珍しく6人家族なので1kgの蕎麦打ち。珍しく気持ちが集中してきれいに切れ、打粉を落としても切れてパラパラ落ちる蕎麦がほとんど無い。いつもこうだと気分がいいのだが。
 今年の夏から半年の間、ウェブ上で蕎麦の万博が開催されるというメール着信。ちょうど蕎麦の種蒔き準備の頃にスタート出来るので、それから冬の蕎麦打ちまで、専用の蕎麦ブログを設置して参加しようかな......(ーー;) 蕎麦を3種類も栽培してみようなんて、正気の沙汰ではありません、てへっ。
 夕食後、昨日届いた知人の句集を読む。これはと思う句を書きとめながら読み進めたが、途中で書きとめるのをやめた。素人が評を述べるのはおこがましい上に、やはり俳句に対する苦手意識が頭をもちあげて来たから。
 五七五、17音と、五七五七七、31音とで、どうしてこんなに違うのだろう。なぜか31音にはつき合えるが、17音にはつき合えない。あまりに言葉が少なすぎて窒息しそうになるというか、言葉の酸素不足で過呼吸に陥りそうになる。

2011年2月19日土曜日

自分の体を使って人体実験

 今月5日から、夕食後にダッタンソバ粉をティースプーン一杯(ほぼ5g、ルチンが100g中に1500mg含まれているとして、5gで75mg摂取できる計算)、お湯に溶いて飲むことと夜九時ごろの定期的血圧測定を始めて、ちょうど2週間。自分の体を使った人体実験なので、非常に分りやすい。
 飲み始めてずっとほぼ125-80前後と安定していて、12日の30cmの積雪を軽トラックで4台片付けた日だけが135-87と上がった。
 ルチンは水に溶けやすく、水だとルチンがケルセチンに変わって苦くなるのでお湯に溶いて飲んでいるのだが、それにしても水溶性なので案外即効的に効いているのか? とにかく上が140台というのがまだ一日も無い。
 いずれにしても血圧を下げるだけでなく、毛細血管も強くし、さらに血糖値も下げたり、コレステロールも減らしたり、そのルチンが普通のソバの100倍というのだから試してみる価値はあるだろう。
 ただし、ダッタンソバの栽培には懐疑的になってきた。ダッタンソバ粉で購入する方がずっと楽ちんで安いのである(泣)。
 先日少しだけ石臼で碾いてみたが、その余りの歩留まりの悪さに一挙に懐疑的なったのだった。ただし、同じ会社のダッタンソバ粉とダッタンソバの玄ソバであるのに、自分で碾いた粉は黄色味が薄く、しかも水で溶いて飲んでみてもまったく苦くないのである。うーん??
 苦味がある、無いというのは結構聞くが、どうも品種の違いなどではなく、栽培や製粉の仕方で異なって来るようだ。
 とりあえずは100日分くらいはあるだろうから、それまで飽きずに記録を続けよう。
 栽培するかどうかは、7月末までに決めればいい。

2011年2月17日木曜日

怪しい実験

 そういえば、昨日、Tさんにもち米の玄米をいただいてきたのだったが、昨年秋にTさんから必要量を購入してあるので、頂戴した分は余ってしまうことになる。ただし今年は病気治療に専念するTさんは水田をまったく耕作しないので、今年の秋にはこれまでのようにTさんからもち米を購入できない。
 ということで、Tさんから昨日頂いたもち米玄米を用いて、ひとつ実験をしてみることにした。
 酸素などを透過させないガスバリア袋の大きめのものがないし、あっても高いので、簡単にガスを通してしまうポリではなく、どれだけガスを通さないかは不明だが、厚手のビニール袋に玄米を詰める。袋の口をシーラーで封をする前に、使い捨てのカイロをふたつ、揉まずにそっと袋の内側に貼り付け、それから袋を押してできるだけ空気を抜いてから、シーラーで封をする。
 これで、使い捨てカイロの主成分である鉄が袋の中の酸素を取り込みながら酸化するので、袋の中の酸素が少なくなって、完全に真空とまではいかなくてもそれに近い状態になる。玄米も酸素が少なければ酸化がゆっくりなので劣化が少なくなる。
 原理的には脱酸素剤も使い捨てカイロも同じようなものらしい。その上、脱酸素剤は小袋用が多く、内容量が15kg、30kgといった大きな袋用だと使い捨てカイロの方が価格的に安くなる。
 と、実はこれ、玄ソバを劣化させずに保管するための実験なのでした。すでに空気が減って真空パックに近い状態になってきています。あとは出来るだけ夏の高温を避けられる場所に保管すればいいはずです。

2011年2月14日月曜日

病膏肓蕎麦吉君

 どうも病膏肓に入ってしまい、このブログにソバ・蕎麦のことばかり書きすぎて、読みに来て下さる皆様にはさぞかし鬱陶しかろうと思います。
 そこで蕎麦がらみのことは別の場所に書いた方がよかろうとTwitterに続いてFacebookにもアカウントを取得し、中に入って探索してみた。
 が、後者は前者以上に使いにくい。チンプンカンプンである。
 というか、どちらも私のニーズに合わない。
 いや、私の方が旧式なので合わないというのが正確。試しにFacebookで出身高校と大学と卒業年次を入力して仲間がいるか検索してみたが、だれひとりヒットしなかったのはなぜ? 同世代はTwitterもFacebookもまったくしていないということなのだろうか。こんなくらいだったら、Myspaceの方が面白いかもしれない。
 むしろTwitterに蕎麦吉君がいたら、もう一度Twitterに登録しなおしてフォローし合った方が良さそうです。