しろうとが、ああだこうだと、いろいろ愚行錯誤(!?)しております。

2013年3月7日木曜日

それにしても、多すぎ(汗々)

今年に入ってから、3種類の玄ソバが到来した。

そのうち、上右がM在来、上左がB在来。下の大きめなのは比較のための常陸秋そば。
もう一種、この写真には写っていないが、M在来の小粒も入手。
昨年播種したN在来、T在来もあり、いくら何でも5種類を5ヶ所に分散して播種するなんて出来そうもない。どう取捨選択するかが大きな悩み。

B在来の写真、下の方、ふっくらしておいしそうな粒だこと。

2013年3月6日水曜日

でんぷんとタンパク質

昨日の図式は、光合成で糖→でんぷんを生成する工程。
では、タンパク質は?

植物がタンパク質を作る過程には2つのステップがあります。
まずは、アミノ酸を作ること。
次に、アミノ酸をつなげてタンパク質をつくること、です。

植物においてアミノ酸を作る過程を「窒素同化」といいます。
植物は土の中の硝酸塩やアンモニウム塩に含まれる窒素(N)を取り込んでアミノ酸を作ることができます。
ところで植物が光合成をおこなうことはとても有名ですが、同時に呼吸も行っていることはご存知ですか?
植物は呼吸によって酸素を取り込み、光合成で作った炭水化物を分解してエネルギーを得ます。
(この時二酸化炭素ができるので、排出します。動物の呼吸と一緒ですね。)
呼吸はじつはとても複雑な化学反応の過程を経ます。
この複雑な化学反応の途中でできる、「ピルビン酸,α-ケトグルタル酸,オキサロ酢酸」といった物質と「窒素」を原料にアミノ酸を作るのが「窒素同化」です。

次に、「タンパク質合成」を行います。
タンパク質は、いろいろな種類のアミノ酸がたくさん連なったものです。
どのアミノ酸がどの順番でつながればいいのか、その設計図はDNAにあります。
DNAの中から必要な部分をコピーし、「アミノ酸」を原料に「タンパク質」をつくります。
DNAから必要な部分をコピーすることを「転写」、コピーを使ってアミノ酸からタンパク質を合成することを「翻訳」といいます。
これらの詳しい過程(光合成の過程を含む)は高校の生物IIの分野と大学の分子生物学で習います。
呼吸とタンパク質合成は動物・植物どちらも行いますが、窒素同化は植物しかできません。
そのため、動物はアミノ酸を作るのに必要な窒素をタンパク質を食べることで補います。

* 以下のURLからの引用です。
http://okwave.jp/qa/q6719934.html

2013年3月4日月曜日

もう一度勉強しなおし

面白いデータを見つけたので、メモ代わりに貼り付け。








光合成をもう一度勉強しなおしています。


2013年3月3日日曜日

粗びき蕎麦

本日は仕事は休みで家の用事もなかったので、午前中に親戚2軒分の蕎麦をそれぞれ1kgと700g打ちました。香りの強いN在来と、香りは弱いが甘みは抜群のT在来を半分ずつ混合し、慣れない人がゆでるので二八。メッシュは40。
せっかく道具を出したので、先日さる蕎麦店のご主人にいただいた石臼手びきの小粒在来種の粗いそば粉を打つのに挑戦。
といっても、40目(約32メッシュ)のふるいにかけてふるい上に残った32メッシュより粗い粒が21,6%、つまり1/5もあるので私の腕では生粉打ちでは絶対につながらない。
中力粉を使い、さらにあれこれ工夫して水回しを終えたところ。ちょっと艶が無いのが気にかかりますが、何とかまとまりました。


先日この粉で打つところも拝見したので、これまでの楽なうち方を反省し、加圧を工夫し、気合を入れて打ちましたら、なんとかつながって蕎麦の形にはなりました。
もうちょっと透明感が出るかと思いましたが、粗いつぶつぶが多いのでこんなものでしょうか。


私がいつも食べているN在来に比べると少し香りがおとなしい。というか、むしろ香りが強すぎるN在来が特殊なのだと思う。
では、そのN在来を超えて「香る」というより「臭い」K在来はどういう風に蕎麦にしたらいいのだろう。単独では匂いがむっとして食べられない蕎麦にしかならない。
考えられるのは、香りの薄い品種に香り付け用に混ぜるという使い方。
歩留まりを下げるといっても、1000粒重で20gを切ってしまうような小粒種なので、よほど大量投入するか高速回転をさせないと結構碾けてしまうのです。
ひょっとすると石臼ではなく、金臼式の製粉機で粗く碾いた方が選別できそうな気もします。
しかし、栽培も難しいし収量は抜群に少ないし、なんとも厄介なソバなので今年度は栽培しないかもしれません。

2013年3月1日金曜日

別の意味のエクスタシー

夕方、電動石臼の歩留まりをもう少し落としたいので、とりあえず物入れに落ちる挽き割りの最大投入量を増やすべく細工をした。
現状ではあまりにぴったりに碾けてサナゴが幾らも残らない。風味の薄い種類はまだしも、風味の強い品種だとあのソバ蜜の匂いにも似た田舎臭い匂いが蕎麦に出てしまう。だから歩留まりを下げないといけない。
雑味・雑臭が出ないで蕎麦の風味がピュアにくっきりはっきりするのは風味が薄い品種では70%まで行っても構わないだろうが、風味が強い品種は65%に抑えないと鼻にむっと来る。季節にもよるが。

夕食後、一時間ほど檜の麺棒にサンドペーパーをあてた。
320番、600番、1000番とかけていって、あとはタオル。
微妙に残るカンナの削り残しが無くなってすべすべになってゆき、掌にあたった感触が実にいい。性的なではなく別の意味のエクスタシーを感じる。
クルミ油の滲みこんだタオルで軽く拭いて、今夜はこれで終了。
ちょっと細めだが、おいしい蕎麦が打てそう。

2013年2月28日木曜日

正気の沙汰ではありません

昨年は4種類のソバを4ヶ所に分けて播種したが、今年は最近入手した在来種も含めると4ヶ所では足りなくて、5ヶ所、あるいは6ヶ所必要になる。いくら何でもこれは正気の沙汰ではありません。
また、同じ畑に2種類を播くという愚行だけは絶対に避けなければならないし、どれかを播種計画から外さないと苦しい。さて……。

2013年2月20日水曜日

2種混合

昨日Nさん宅に届けたそば粉の残りが800gほどあったので、夕方400gを生粉打ちしてみました。個性的で風味が強い花園畑で栽培した玄ソバを50%、N原で栽培した、風味は薄いが甘みがかなり強い玄ソバを半分ずつ混ぜて製粉したもの。
これを昨日、Nさんの奥さんがつなぎ無しで打って、切れずに美味しいそばになったというので、真似して生粉打ちしてみました。
さすがにNさんの奥さんが言った500回は厭なので300回を目安に捏ね(それでも、こんなに捏ねたら蕎麦の風味が消えてしまわないかと心配しながら)、伸して切りました。
加水がわずかに多かったのがきいてやや柔らかめだったので、蕎麦が切れる心配をして気持ち太めです。

 見た目はあまり旨そうではありませんが、2~3回噛むと口の中にむわ~と蕎麦の風味が広がり、その後から甘みが追いかけて来ました。
2種混合で両方のいいところが合体し、バランスのいい蕎麦になりました。
ただし、やはりもう少し細く切らないと、口の中でもごもごします。
それから、やはり40メッシュにしてしまうと透明感は無くなります。


2013年2月19日火曜日

どちらがいいんでしょう

午前中にNさんの家へそば粉1kg、3袋を届け、お茶をいただきながら蕎麦談義を含め、しばし雑談。今年の分もしっかり注文をいただいて、仕事もこなしました。

夜になってそのNさんの奥さんから電話。
早速蕎麦打ちして食べたところ、香りがあってとてもおいしかった、ご主人にお礼の電話をするようにいわれたので電話しました、と。
聞くと、十割でちゃんとつながったという。あるいはこの地のおばあさんたちに伝わる少し熱湯を回しておいて、それから水回しをする方法かもしれないが、Nさんの奥さんが教わったひとは捏ねを300回といったというが、Nさんの奥さんは「私は500回くらい捏ねます」って笑っていた。
え? 500回!?
私は水回しは丁寧にしますが、捏ねは50回するかしないかくらい。
プロも水は若干少なめで捏ねに重点を置いているひとが多いようですが。
どちらがいいんでしょう。
一度、試しに300回捏ねるそば打ちをしてみようと思います。

2013年2月18日月曜日

ひとに頼まれたものはメッシュを迷う

午後3時過ぎに、仕事上の取引先であるNさんの奥さんから電話があった。昨年秋のソバの収量がかなり少なくてそば粉が終わってしまったので、1kgを3袋くらい分けてもらえないかという。
もちろんOKです。(雪が降っていたので家で申告用の決算書作成準備をしていてよかった)
蕎麦好きのNさんの家へ行くといつも蕎麦の話になるくらいなので、ストックの粉よりも碾きたての粉がいいかと思い、すぐに5kgの玄ソバを碾きはじめた。
といっても昨年は信濃1号は栽培しなかったので、風味が強くて個性のありすぎるN在来を2,5kg、風味は薄いが甘みが強いT在来を2,5kg、両方を別々に粗割りし、皮を排除してからブレンドして電動石臼にかけた。
少し碾けてから40メッシュでふるってみると篩上はほぼそば殻とサナゴだけでちょうどいい碾け方なので、そのまま石臼を自動運転。午後7時半ごろ1kgづつに袋詰め終了。
自分用は40メッシュでは碾かないが、ひとに頼まれたものはメッシュを迷う。そのひとの技術によって40メッシュでもつながるひと、50メッシュでようやくつながるひと、いろいろなので、まったく知らない人の粉を碾くのは出来れば避けたい。
Nさんの家は二八なのでそう心配することもありませんが。

2013年2月17日日曜日

変色した積読本



探し物をしていたら、平積みの積読本のかなり奥の方の下層からこの本が出て来ました。
すでに本文用紙も赤く変色しはじめていて、昭和57年11月25日 第一刷発行。
読み始めたら非常に面白いし、解りやすい本で驚いた。理科系のひとが書いた本で、たまたま悪文というか、ムチャクチャ判り難い本があって閉口するが、この本は実に読みやすく、解りやすい。
ただし、ネットで検索してみたら新本は当然だが古書検索でも在庫が見つからなかった。

光合成のところ。
葉の中の海綿状の組織の中に葉緑体があって、そこで気孔から吸収された炭酸ガスが光合成によって液状の糖になりさらにデンプンとなる。
夜になって光合成が行われなくなるとデンプンはまた液状の糖となって、植物の組織のあちらこちらへ運ばれ、残りは実へ運ばれる。実へ運ばれた液状の糖は、実の中でデンプンになる。
何となく、ソバの実が膨らんでゆく様子が目に浮かんで来て楽しい。
そういえば、ソバの実を切って、中央に空洞があるソバが旨いという観察をされた先達が居られますが、空洞があるということはデンプン質がぱんぱんに詰まっていない玄ソバのほうがおいしいということになります。^_^;

これから毎晩、枕元に置いて少しずつ読み進めよう。



2013年2月16日土曜日

夜な夜な

このところ夜な夜な拡大鏡でのぞいている玄ソバ。

















似てはいるが、右と左は別もの。
左の方が気持ちふとっちょです。
真ん中のは比較用の常陸秋そば。

2013年2月15日金曜日

道具に凝るひと、こだわらないひと

昨日、ある著名な蕎麦店のご主人から電話があって、訳あってご自身では使わない麺棒をいただけることになった。
私のように自己流でいつまで経っても上達しないヘボにはもったいなくて、ネコに小判、豚に真珠なのですが、ありがたくいただいて大切に使わせていただきます。

面白いもので、蕎麦を打つのに道具にムチャクチャ凝るひとがいて、私の知人にも特注した蕎麦打ち台に木口まな板、そば粉保管用の専用冷蔵庫を持っているひとがいる。
そうかと思えば、キッチンのテーブルにホームセンターで購入して来たシナベニアを載せ、麺棒は同じくホームセンターで売られている手すり用の集成材の丸棒やステンレスパイプで、切りまな板はコクヨのカッター板というひともいる。
蕎麦打ちだけでなく、どんな分野でも形から入らないと前へ進めないひとと、スタイルにこだわらず蕎麦が打てれば道具にはこだわらないひとがいる。
文学でも形式から入るひとと、今回の芥川賞作家のようにオーソドックスな形式にこだわらず、書きたいように書いて形式からはみ出してしまって、なんじゃこれ? と言われるひとがいる。
そのどちらも蕎麦は蕎麦、小説は小説であるのは間違いなくてそれが面白いのだけれど、形式内に収まっているのはどこか物足りなさや面白くないという感じは否めない。かといって形式から大きく外れれば外れるほど、これが蕎麦? これが小説? ということになって多くのひとには理解されがたい。
 
私自身は後者も後者、とんでもなく「なんじゃこりゃ」の手合いで「訳わからん」ではありますが。

2013年2月13日水曜日

最後尾と最先端


このところ毎晩、拡大鏡でソバの実をのぞいていて、だいぶ眼が疲れてきました。
しかしそうやって毎日のぞいているうちに、在来種のなかに改良種らしきものが混じっているのもだいぶ見分けられるようになってきました。
無論、交配してどちらともいえない中間型も存在しますが、明らかに改良種型と思える実は取り除いてしまいます。
こんな原始的なことをしていていいのだろうか? 
蕎麦の世界の最後尾をよたよた歩いている感じです。

そういえば、夕方のローカルテレビ・ニュースでみましたが、県内のある市で製粉しない蕎麦の発表会が今日、あったようです。製粉しないで、「ぬき」を水に浸しておいたものを新開発の杵搗き機械で搗いて、それをこねて麺にするということで、見た目はきれいな粗挽きそば風でした。多分、風味はいいはずです。
浸した水分をどれだけ切るか(水分調整)、そして軽く搗くのかみっちり搗くのか、つなぎを入れているのかいないのか、そのあたりの加減がむずかしいと思います。
この方法は、すでに個人の先進的な蕎麦屋さんでこうした機械を使わずに試みられていることではありますが、さすがに新開発の機械を導入したせいか、蕎麦一枚が1600円とのことです。600円が機械の減価償却費ということでしょうか。
こちらは蕎麦の世界の最先端です。

2013年2月11日月曜日

ソバも人間も

このところ毎晩、拡大鏡片手に玄ソバをのぞいている。ただ肉眼で見ている分にはどれも同じソバの実にしか見えないのだが、ほんのわずかな倍率の拡大鏡であっても、その向こうに見えるのはどれひとつとして同じではない個性的なソバの実のひとつひとつだ。
この作業はどこか、私の好きな細密画を見るのに似ている。ディテイル(細部)そのものがまさに個性なのだと思う。

以前から、そば粉のディテイル(細部)を見るためにUSBマイクロスコープを欲しいと思っていた。が、まだ入手していない。頭皮の毛根を見るUSBマイクロスコープでもいいのだし、ネットで結構安価で入手できるのは判っているのだけど、その結果、えくぼがあばたに見えるかもしれず、拡大鏡でソバの実を眺めて悦に入っている現状の方が幸せなのかもしれません。
ソバも人間も、存在あるいは現象としては限りなくミニマム。