しろうとが、ああだこうだと、いろいろ愚行錯誤(!?)しております。

2013年2月15日金曜日

道具に凝るひと、こだわらないひと

昨日、ある著名な蕎麦店のご主人から電話があって、訳あってご自身では使わない麺棒をいただけることになった。
私のように自己流でいつまで経っても上達しないヘボにはもったいなくて、ネコに小判、豚に真珠なのですが、ありがたくいただいて大切に使わせていただきます。

面白いもので、蕎麦を打つのに道具にムチャクチャ凝るひとがいて、私の知人にも特注した蕎麦打ち台に木口まな板、そば粉保管用の専用冷蔵庫を持っているひとがいる。
そうかと思えば、キッチンのテーブルにホームセンターで購入して来たシナベニアを載せ、麺棒は同じくホームセンターで売られている手すり用の集成材の丸棒やステンレスパイプで、切りまな板はコクヨのカッター板というひともいる。
蕎麦打ちだけでなく、どんな分野でも形から入らないと前へ進めないひとと、スタイルにこだわらず蕎麦が打てれば道具にはこだわらないひとがいる。
文学でも形式から入るひとと、今回の芥川賞作家のようにオーソドックスな形式にこだわらず、書きたいように書いて形式からはみ出してしまって、なんじゃこれ? と言われるひとがいる。
そのどちらも蕎麦は蕎麦、小説は小説であるのは間違いなくてそれが面白いのだけれど、形式内に収まっているのはどこか物足りなさや面白くないという感じは否めない。かといって形式から大きく外れれば外れるほど、これが蕎麦? これが小説? ということになって多くのひとには理解されがたい。
 
私自身は後者も後者、とんでもなく「なんじゃこりゃ」の手合いで「訳わからん」ではありますが。

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