しろうとが、ああだこうだと、いろいろ愚行錯誤(!?)しております。
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2011年11月24日木曜日

蕎麦について考え実行してみるひと

ソバの種を播くことから石臼による製粉、蕎麦打ちから食べるまでを一貫して探求されている先行者のブログを、三晩かけて全記事を読み通した。
種まきから蕎麦を打って食べるまでの全工程について考え実行されていて、参考になることばかりが書かれている。
私も、こんな風に、蕎麦について考え実行してみるひとになりたいと思う。

育種まで視野に入れた次年度の種の選別の仕方といい、蕎麦の香りへのこだわりといい、その涙ぐましい努力に敬服したが、自分のみょうちくりんに蕎麦狂いな姿も重ねて半ば同化し、身につまされながら読み進めた。
私も「風味」のある蕎麦を食べたいがために、あえて何ともバカバカしいソバの栽培を始め、親戚から古い石臼を奪取してモーターを着けたり、夏場に冷たくしめた蕎麦を食べようとして見事に失敗してずるずるな蕎麦玉をこっそり生ゴミ入れに棄てたりして、傍目には風車を敵と見紛って突撃するドン・キ・ホーテにしか見えない。

蕎麦の香りが甘皮にあることは知られている。
知られてはいるが、その部分の粉は歯ぬかりするという理由、あるいは粉にするのに時間がかかるという理由、あるいは粗碾きのままだとつながりにくく打ちにくいという理由などから、甘皮の相当部分は排除される。
私が初めてソバを栽培した年、製粉会社に製粉を委託した。この地では以前から個人の精米所やJAの精米所がソバの製粉もしていたのだが、その頃にはその数も減っていたし、私の舌に蕎麦の味を教え込んだ父親が製粉を委託していた個人の精米所は、あまりにあくどかった。
先ずは私の父が亡くなる何年か前のこと、その個人精米所に農家から買い求めた玄ソバを持ち込み、一週間後に製粉された粉を引き取りに行ったところ、「あれ、Kさん、もうそば粉持ち帰ったんじゃなかった。無いよ」と言われ、お人好しな父親はそのまま手ぶらで家に帰って来てしまったのだった。それでもうその精米所には行かないかと思ったら翌年、翌々年、父はまだその精米所に玄ソバを持ち込んでそば粉にしていた。
その父が病気になって歩行困難となった。そこで私が代わりになじみの農家から玄ソバを買い、その精米所に持ち込んだ。一週間後、そば粉を引き取りに行った私に、精米所のばあさんが言った。
「お宅のソバに釘が入っていて製粉機が傷んで部品を取り替えた。弁償して貰いたい」
私は製粉料金に部品代を上乗せされた料金を支払い、そば粉を自宅に持ち帰った。その年の蕎麦はちっともうまくなかった。今でもその精米所に石を投げたい気分です。
そういう苦い思い出があるので、その精米所には金輪際足を向けたくなかった。
そこで、この地で唯一の蕎麦専門の製粉会社に、生まれて初めて栽培したソバの製粉を委託した。そして生まれて初めて二八で蕎麦を打ってみたのだったが、どうもそば粉が白すぎるし粉の粒子が細かすぎるような気がした。初めてにしては結構うまくつながって蕎麦にはなったのだったが、食べてみるとどうにも蕎麦の「風味」が薄くてがっかりした。
どうしてこんなに「風味」が薄くなってしまったのかとずっと考えていて、玄ソバのせいというより、製粉の仕方に原因があるのではないかと思い至った。
それからいろいろ、ソバや蕎麦について書かれた本を読み、また考えた。
これは邪推かもしれないが、プロの製粉会社は「お宅で碾いてもらったそば粉はつながらない」と言われては困るので、篩いを細かい目にする。メッシュの細かいソバ粉がつながりやすく、粗碾きがつながりにくいのは事実である。
そこで製粉会社はメッシュを細かくする。メッシュを細かくすると、内層粉や中層粉はまだしも固い甘皮の部分が残る。固い甘皮を細かいメッシュの篩いを通るようにするにはさらに製粉機なり電動石臼なりにかけなくてはならない。安い(高い?)製粉委託料金でそこまで丁寧に碾いてはいられないので、甘皮部分は歯ぬかりもする厄介な部分なので棄ててしまうか、乾麺製造会社に売り飛ばしてしまう。その結果、打ちやすくて、色が白くて、品のいい蕎麦が打てるソバ粉が出来上がる。
しかし、かんじんの「風味」がどこかに消えてしまって、われわれの目の前にあるのは、香りも味も希薄だけれどコシやのど越しだけは良いという、いわば畸形な蕎麦。
コシやのど越しといった触感的食感だけだったら蕎麦よりもうどんの方がずっと優れている。蕎麦にはコシやのど越しだけでなく風味、すなわち「香り」と「味」をもバランスよく含め、味覚、嗅覚まで総動員して食べるべき食べ物なのである。

こんなことを考えた私は、次の年から、自分で栽培したソバは自分で自分の口に合うように製粉しなければダメなのだと思い、製粉機や石臼の取得に躍起になったのでした。
にもかかわらず、いまだに自分の気に入ったソバ栽培も製粉も出来ず、コシもあってのど越しも良く香りも味もある蕎麦を打てないでいるのですが。

2011年11月21日月曜日

大失敗・その1

この夏に、普通ソバといっしょにダッタンそばの種を播きました。30mくらいの長さの畝で6通りくらい播いたにもかかわらず、芽が出たのは一株だけという大失敗に終わって、ダッタンソバを粉にして毎日飲んでいるダッタンそば湯を自家製のものにしようという目論見が潰えました。






(実は片山虎之介さんの「ダッタン蕎麦百科」と「不老長寿のダッタン蕎麦」を読んで以来、私もこれで脳梗塞や循環器系の病気を予防するつもりなのでした)


それにしても、こんなに壊滅的に発芽しないのは種が悪かったのだろうとずっと思っていました。
しかし一週間ほど前に、ソバ関係のデータを印刷して綴じてあるファイルを開いていて、ひゃっとしました。
ダッタンそばにマイクロウェーブを照射すると苦味が消えるという研究データが目に入ったのです。
そういえば、種として購入したダッタンソバ1kgのうちの数百gを自宅のマイクロウェーブ発生装置=電子レンジにかけ、それを石臼で碾いたことがあった。確かに苦味はかなり無くなってなるほどと納得したのだったが、まてよ、あの時ダッタンソバが入っていたガスバリア袋をそっくり全部電子レンジにかけてしまったのではなかったか? ひゃっとしたのは、そう思い至った瞬間。そうか、種として播種することを忘れて、一部ではなく全部を電子レンジにかけた可能性がある。
ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナョ~

ふうむ、種を電子レンジにかけちゃ、発芽する訳ありませんよね。(ばかだなあ、つまらない実験をして)
「種を見ると播きたくなる病気」をかかえていますので、懲りずにまた来年種まきしてみます。

2011年11月15日火曜日

気の長い話

そば粉が少なくなって来たので、また製粉した。玄ソバは、今年の初め頃にネット上で発見した玄ソバで販売していたN在来だが、まじまじ見ると交雑しているのが明らかだった。本来が種子としてではなく食用として売られている玄ソバだから、それを石臼で碾くなりしてそば粉にして食べてしまえば問題はない。
それを種として栽培しようとする、つまり目的外使用をあえてしようとしているのだから、交雑している粒があっても仕方ないのである。
そして、交雑していると思しき粒はすべて排除したつもりだったが、播種して収穫してみるとまだ交雑していると思える玄が結構存在している。


この画像の右が本来のN在来、左側は交雑したソバ。あまりに大きく、あまりに黒いので、信濃1号ではなくキタワセかと類推するのだが、素人には良く分からない。分からないけれども、違う品種であることだけは素人目にも明々白々。
来年度は右側から気に入ったものを採種用として選抜し、それを他のソバ畑のソバと交配しない場所で播種用として栽培し、それを翌年に食用として栽培すれば本来のN在来に近いソバになる。
ということは、少なくともあと二年後でなければMy sobaにたどり着けないことになる。
気の長い話ではあるけれど、それが現在の目途。


2011年11月7日月曜日

今年最後の風選

一昨日脱穀したままだったT在来を唐箕にかけ、精選した。
唐箕は使うたびに感心する道具である。
唐箕にかける前はただのゴミの山だが、風力で茎や葉がきれいに飛んでソバの実だけになった。
計量するとぴたり8kg。
栽培面積は3,5間×6間=21坪。反収を計算してみると114kg。
チッソ過多で徒長し、見た目にも実の付きが悪かった割には意外に多かった。
晴天が続かないので三日くらい庭で日光をあてて自然乾燥させてから、これも試食してみる予定。試食してみないと、来年度の栽培計画が立たない。

2011年11月5日土曜日

今年のソバ栽培終了

雨が降るというので、まだ余り乾燥していない感じだが、菜園のジャガイモ栽培跡地のT在来を脱穀した。チッソ過多で長く伸びすぎていて、しかも実の付きもよくないが、放っておく訳にもいかない。
小一時間で終了したが、唐箕をうっかりもう要らないと思って別の場所にある倉庫に置いてきてしまったので、篩いで篩っただけで、唐箕による風選が出来なかったので、収量はまだ不明。おそらく5kgから10kgの間ではないか。これで4種類も播種した今年の狂乱のソバ栽培も終了となる。やれやれ。来年度からN原はやめ、面積を大幅に縮小してmy sobaとなるべき種の選抜に重点を置くことにする。

2011年11月4日金曜日

タデ科三昧

10月28日に刈り取りしたK在来を、今日の昼休みに行って十分ほどで脱穀し、それをそのまま家へ持ち帰った。そして篩いで茎や葉を取り除き、細かい葉などは乾燥しているので、唐箕での選別は省略していきなり循環式精米機で磨きにかけた。思ったとおり、乾燥した葉は粉々に砕かれて下に落とされ、ソバの実も萼などをきれいに摺り落とされた。それから箕で皮だけの未熟な実を風選して、計量してみた。
1800g。5gで289粒だったK在来が1800gになった。重量比で360培。5gで289粒から単純計算してすると104040粒収穫できたことになる。1000粒重は17,3gで、やはり最軽量の部類に入る。とにかく小さい。
1800gあれば、一応一度か二度くらいは試食できそうなので、よかった。来年度の種子として残すか残さないか、食べてみなければ判断できないのだから。
それにしてもこんなに実が小さいと重量での収量は少ないに決まっているので、よほどおいしくないとダメですが、こうして写真に撮ってじっとながめていると愛着が生じてしまいます。信濃1号ともN在来とも顔つき(表情)が違うんですね。



夕食後、採ってきたまま忘れていたルバーブを洗って刻んで鍋へ入れ、ジャムを製造。



ホームセンターで売っているビンの小さいもので18本出来ました。

2011年11月2日水曜日

腑に落ちない

例年、共同栽培したソバは各自の必要量を分配し、残りは製粉会社に売っていた。
ずっと1kg・350円くらいであった。
それが、今年は1kg・200円であるという。
ええっ? 
なぜか。
今年から申請してソバを栽培すると助成金が出るので、その分を引いた金額が買い入れ価格になる、と。
ん? 助成金はソバを栽培する農家に対してがんばってソバを栽培して下さいという趣旨で設けられたものではなく、製粉会社が安く買って儲かるようにという趣旨だった? 助成金が出るから、その分を安く買い叩こうなどと、江戸時代のソバ問屋と変わりないじゃありませんか。
農水省に訊いてみようかな。
来年からは自分が食べる分しか作らないようにしましょう。

2011年10月31日月曜日

今年最後のソバ刈り

午後一時から一時間ほどかけて、T在来を稲刈り鎌を使って手刈りで刈り取った。面積はさほどではないが、私の身長を越えるほど伸びて倒伏はしないものの隣の通りの蕎麦にのしかかっていて、刈りにくい。しかも実はあまり付いていない。やはりチッソ過剰は草丈ばかり伸びて、実の付きは悪くなる。しかもチッソ過多で無限花序に火がついて、霜が降りるまで花を咲かせることをやめようとはしない。
チッソ過多で播種時期が早いと徒長して花は咲き続けるが実は付きにくいという、悪い見本になってしまったが、よい経験をした。



異常に丈の長いソバを刈っていったら、ようやくその西側に隠れていたルバーブが見えるようになった。今年はソバに夢中でルバーブの管理がおろそかになった。ルバーブ君たち、申し訳ない。



そうだ、強い霜が降りないうちにもう一度ルバーブ・ジャムを作っておこう。先日製造したものは母親が関東に住む弟のところへほとんど送ってしまって、もう手元に無い。
そういえば、弟が安納芋を作ったといって今日宅急便で大きな段ボール箱ひとつ送って来た。銀座に勤めながら土日に千葉で農作業をしており、しかも今年の安納芋の苗は自分で育成したという。お互いに、何という兄弟なのだろう。

2011年10月30日日曜日

手ごわい在来種(2)

28日に刈り取りした採種用のK在来の様子を見に行ったら、少しは黒化が進んでいた。しかし受粉した花が少なかったのか、実の付きがはなはだ悪い上に粒が小さい。試食できるかどうか。これでおいしくなかったら腹が立ちますけど。
それから菜園の方のT在来も観察。しぶとく緑色していたT在来も霜に遭ったせいか少し黒化してきたような気がする。明日以降、時間があったら刈り取り開始しようと思う。明日で89日、11月1日には90日になってしまう。

2011年10月28日金曜日

手ごわい在来種

189粒播種したK在来の葉が黄化し、実も少しは黒化してきた。何と今日で播種後85日になるので、半端な空き時間に行って刈り取り作業をした。といっても作業時間は十分未満。束にして8つ。立てて乾燥させながら追熟を待つことにする。それにしても何という粒の小ささ。実の付きもあまり良くない。これで風味が薄かったら誰も栽培しないだろう。
ついでに家庭菜園の方にも顔を出してみた。こちらのT在来も昨日の朝と、今朝の低温(霜)で葉がだいぶ傷んで青味を失って来ているが、まだ青い実が多く、黒化したものは少ない。いくら蝿が三匹止まったら(=黒化した実が三粒あったら)刈って良いとはいっても、なかなか刈る気にはなれないが、さりとてこれ以上置いて黒化が進むのか、強い霜に遭って枯れてしまうのか、判断が難しい。
このT在来は甘皮の緑が濃い種類であるらしいので、ひょっとするとこれももう刈り取って追熟に期待すべきなのだろうか。これはもう播種後87日経過している。さて。

25日に打った食べ比べ用の蕎麦の残りが、まだ冷蔵庫に残っていたのをうっかり忘れていた。もう丸三日も経っているが、ポリ袋から出して匂いを嗅いでみたら何ともないので、昼食に茹でてまたネギと鶏肉であたたかい蕎麦にして食べた。十割で打ったのにまったく切れず、風味も残っていていい感じの温蕎麦だった。
ちなみに、三日経っても在来種の方がおいしい。

2011年10月25日火曜日

いよいよ食べ比べ

夕方、少し早めに帰宅したので、碾いたそば粉2種類をつなぎ無しの十割で打って、食べ比べをしようと道具を出した。とはいえ、2種類打つので、そう大量には打てない。そこで300gずつ打つことにした。
この地では定番の信濃1号と、N在来、どちらも大割れを作ってそば殻を8~9割吹き飛ばして排除したものを電動石臼で碾き、60目(50メッシュ弱)で篩い、篩い残った甘皮を再度石臼にかけて碾き、同じ篩いで篩ったものを合わせた粉で、甘皮のほとんどが入っていることになり、東京風の白くて上品な蕎麦にはならないが、そば殻のホシもこれまでよりだいぶ排除できたはず。
300gでは水回しも何もちょっとやりにくいが、何とか延して切った。まだ十割の初心者なので粗碾きではなく、どちらもあっさりとつながった。

そして茹であがってザルに盛ったところ。(盛り付けが雑)



左側が信濃1号、右側がN在来。切り方が下手なのはご愛嬌(というか、ほんとうはもう少し細く切りたい)。
それで早速、試食。先ずは何もつけ、左右を交互に何度も食べ比べ。よく噛んでみる。
信濃1号も風味を感じない訳ではないが、比較すると、N在来の方が香り、味ともに強いのが実感された。
花盛りのソバ畑を思い出しながら、ふと、やはり、花の蜜がうん○臭い在来種の方が、ソバの香りも味も濃いのかもしれないと思った。私の畑でもN在来の畑は臭かったが、信濃1号は満開の時でさえもうん○臭くなかった。
9月にあちこち訪ねた在来種のそば畑も強烈にうん○臭かった。
蜜の匂いの強い、強くないの差は何によるのだろう? 

何度も食べ比べているうちに舌が鈍感になる。そういう時にはねずみ大根のおろしをひとくち口に入れると、なぜか舌の感覚が鋭敏になる。辛味大根の不思議な効用である。

(そういえば、Tさんにねずみ大根の種を上げたら、「長い畝で2通り播いたので300本くらいあるかもしれない、半分くらい持っていって」と言われた。結構長く保存できる大根ではあるけれど、150本は要りません。自分で播いたのも70本くらいあるし……)

ということで、信濃1号はすべて製粉会社に売ってしまい、N在来を全量保存することに決定。
となると、まだ刈り取りもしてないT在来と、一度試食できるかどうかしか収穫できないであろうK在来が楽しみだ。

2011年10月24日月曜日

ようやく脱穀作業終了

雨で脱穀できなかった花園2号地のソバを、乾いて来たらしいので午後になって出動し、脱穀した。
今回もブルーシートを広げた中央にソバをひと抱えほど置いて、それを棒で叩くという縄文・弥生時代の方式にした。乾燥が悪い場合はコンパネやプラスティックのコンテナなどに叩きつける方法の方がきれいに実が落ちるが、乾燥が良いとこの方式の方が能率的。
今日は先日山から切って来た棒を使ってみたが、まだ乾燥せず生な状態だったが適度な重さがあり、また棒自体のバランスが良くて使いやすい。幹と枝でへの字の形にしたのではなく、天然でへの字になっていた木で、樹種は不明だが使い心地が気に入った。来年以降もこれを使うことにする。もう少し乾燥させてから、握るあたりを滑らかにするために削ったり磨いたりして整えておこう。
途中、仕事上のお客さんが来たと呼び出しされて帰宅したので、早く終わる予定が、篩いと唐箕をかけたら、結局、午後4:30に終了となった。
収量は乾燥しない状態で45kg。宅地二区画分なので、おそらく130坪くらい。反収を換算するとどうやら100kgすれすれ。N原の信濃1号は10aあたり138kgという数字が出ているので、やはり在来種(しかも小粒)は収量が少ない。とはいえ、在来種で100kgというのは多分かなりの多収穫だと思う。ソバ栽培5年生でようやく満足できる結果になった。
これで採種用のK在来とT在来を除く2種類は脱穀作業終了です。
それにしても、今年は大面積に挑戦して何ともハードなソバ栽培でした。

昨日見たばかりだが、189粒播いたK在来が黒化が進んできたように見えた。人間の目って案外信用できない。しかし、粒が小さい。こういう小粒種は収量が少ないに決まっているので、よほど味が良くないと栽培する気になれません。

2011年10月23日日曜日

痛!

春に家族が「さといも」も栽培してみたいというので、花園3号地のソバを播いた北側に黒マルチを張り、そこに種芋を植えておいた。
その後、生育も順調で、私の身長より茎が長くなっているので、少し試し掘りをしてみようということになった。
茎を切っておいて、周囲をシャベルで掘っておいて、それから株ごと掘り上げる。こんな調子で二十数株の全部を一度に掘るのはタイヘンかもしれない。
五株掘ってコンテナに半分近くの収穫。これはすごい。
早速、こいもを皮付きのまま蒸して、つるっと皮をむいて田楽用の味噌や砂糖醤油につけて食べてみた。この食べ方、結構楽しい。

久しぶりに菜園のT在来と、水稲育苗ハウスに隔離栽培しているK在来の様子を見に行った。どちらも以前よりは黒化した粒が見えることは見えるが、まだまだ少ない。ただしK在来は受粉した緑色の実はかなり目立つようになってきている。K在来は播種した土壌が山の赤砂を盛った場所にあるので、どうもそもそも実の付きはあまり良くない。粒も小さいので、営利栽培には絶対に向かない。189粒を手で一粒ずつ間隔をあけて播いたものなので、来年度の種子用のほかにたとえ1kgでも試食用が確保できればいいのだけれど、さて。
このT在来はその県の農業試験場のデータを見ると粉の緑色が強いことと、苦味、苦味コク、旨味、旨味コク、渋味、渋味刺激ともに他県産をよりも強い。ことに苦味、苦味コクの数字は相当である。
この種を入手した時、ほんとうかと思って、手作業でソバの皮をむき、5粒くらいまとめて口に入れ、噛み砕いてみた。確かに普通のソバよりずっと苦味のようなものが強かった。これをそば粉にしたらどうなのだろう? ということで播いてみたのだけど、野菜を栽培している肥えた土だったのと、暖地のソバせいか、背丈2mを超えるくらい伸びて真っ直ぐには立っていない。がぺたっと地に這ってしまったのではなく、弓なりにしなってがんばっているので、何とか収穫にこぎつけたいもの。
多分、黒化しなくても、強い霜に遭ったら刈り取って乾燥させていいのだろうと考えている。その方が早刈りソバと同じで甘皮の緑が残るのではないか。


これはそのまだ生育中のT在来から黒化した粒を採種し、胸ポケットに入れて持ち帰ったもの。
この頃の我が家ではあちこちにソバの実が落ちていることがあって、素足で歩いていてこのソバの実を踏むと痛い。忍者の撒き菱ほどではないが、結構痛く油断がなりません。
ソバの脱穀の際などに飛び跳ねたソバの実が胸ポケットやズボンの左右のポケットに結構入って、それが家の中でこぼれたりするのですね。

2011年10月20日木曜日

豊作

本日もN原へ。残っている東側の13通りの脱穀をする。帰宅しての計量で93,5kg。合計で304.5kg。ただし二日間乾燥すれば2%くらいは減る。
正確な面積がTさんからの聞き伝えで判らないので、後日、何らかの方法で畑の面積を測る予定。そうでないと、反収が計算できない。

長友博士の「ソバの科学」にソバの灰分というページがある(229頁)。
佐々木林次郎博士によると、そばの種実全粒を分析すると、その灰分は2,74%、種実の厚皮をていねいにはいで、内部の種子のみを取り出してこれを分析すると灰分は2,13%であった。
この灰分の組成について、つまり、灰分中にもっとも多いのがリン酸で全体の48,12%を含み、約半分を占めている。カリは25,48%でこれに次いで多く、残りの半分を占めている。ついでマグネシウム(苦土のこと)、ナトリウム、カルシウム……以下略。
ソバは無肥料でいいとよく言われているが、それはチッソに限った話で、どうもリン酸、カリ、マグネシウムなどは施肥した方がいいのではないかと考えていた。ただし昨年あたりもTさんに肥料はやっちゃいけないと言われて施肥できなかった。たまたま今年は共同栽培でなく個人栽培となったので、実はN原の西半分の北半分15通りにはリン酸、カリ、マグネシウムの3種類を混合したものを施肥し、南半分15通りは無肥料とした。畑の東側、Fさんの西瓜が植えられた場所の南に13通りにもリン酸、カリ、マグネシウムの3種類を混合したものを施肥。
その結果がこの恐るべき収量となったのか、たまたま天候に恵まれて豊作となったのか。
来月くらいになれば各地が豊作かどうか判明するだろうが、何とも粒揃いが良くて、ながめているといい気持ち。
ちょっと磨きをかけて、近々画像をアップします。
それにしても疲れました。

2011年10月19日水曜日

疲労困憊

また週末に雨という天気予報なので、やり繰りしてN原のソバ脱穀に出動。
ソバ栽培のなかでいちばんきつくてバカらしくて、もう来年はソバを作るのはやめようと思う作業である。
終日、弥生時代人となって棒をソバの山に打ち下ろす。朝の内はやや落ちにくかったが、昼頃からは叩く度にバラバラとソバの実が散る。
結局、一日では終わらず、N原の西半分だけ脱穀し、篩い、唐箕をかけて精選されたソバの実を袋に入れて帰宅。家で計量してみると、合計で211,5kg。何ともすごい量である。昨年はTさんと同じ西側半分を播種して、確か、176,5kgだったはず。35kgの増収。Tさんと地主さんに上げる分が増収出来てしてしまった。しかし、東側に残っている分、13通り分が残っているのが何とも気が重い。今週はもう時間が無い。
入浴して腰に湿布を貼った。来年はこんなにたくさんのソバを栽培するのはやめ、自分が食べるだけにしよう。というか、Tさんにこの畑は来年は作りませんと言おう。

2011年10月17日月曜日

豊作の予感

一昨日、短時間の降雨はあったが、昨日の好天と適度な風でどれくらい乾燥したか、N原のソバを見に行ってみた。今日の天候がやや薄曇の気味があり、風も吹いていないため、まだ若干の湿気を感じた。試しに軽トラに少し載せて帰宅し、庭でコンパネに叩きつけて脱穀してみた。
バラバラ、結構たくさんの実が落ち、豊作の予感。


結局、両手で抱えて持てるくらいの束で、唐箕にかけたソバが5,8kgもあった。すごい。乾燥させても5kgを下回らないだろう。さすが信濃1号。この感じだと200~300kgくらい獲れてしまうかも。信濃1号でも手刈り、天日干しなのでそんなに不味くはありません。
また、二日間乾燥させた花園1,3号地のN在来は合計で41kg。50kgは無かった。やはり小粒だと収量は少ないが、まだ宅地二区画分の2号地が残っているので、同じくらいの収穫があるだろう。
じきに製粉、試食してみて、手元にN在来を残すかどうかを決めることにします。

T在来とK在来も実はついてきましたが、まだ緑色で黒い実はわずかです。どうか、もうしばらく強い霜が降りませんように。
それにしてもK在来の小粒なこと。データで1000粒重が20gを切っていたくらいだから小さい。椎葉や祖谷より小さいのではないか。味はどうか? 

2011年10月14日金曜日

雨が降る前に

雨が降りそうなので急遽、花園1,3号地のN在来の脱穀。棒で叩き始めたが朝の内は落ちにくいので、軽トラの横にブルーシートを敷き、コンパネを立てかけ、そこに直接ソバを叩きつける方法に変更。野球のバットを振る感じで腰を伸ばしたままなので楽だが、N原のように大面積のソバはこの方法だと体がもたないだろう。
唐箕で精選までしたが、まだ水分が多いので天日乾燥してからでないと計量はできない。やや小粒な種類なので多収は無理だろうが、宅地二画分で50kg近くはありそう。

2011年10月11日火曜日

男のレシピ:そば粉のパンケーキ

ようやくN原の信濃1号と花園1,2,3号地のN在来の刈り取りが終了。
どちらも、置く場所に困るほど刈り取ったそばの束が多い。かなりの豊作となる?

所用でTさんを訪ねると「珍しいものがあるから上がって」と言われ、お茶をいただく。
「珍しいもの」というのは、このそば粉のパンケーキ様のもの。


そば粉と小麦粉が7:3で、ほかに重曹と砂糖少々、これを水でこねてひと晩寝かせてからフライパンで可能な限りの弱火で時間をかけてじっくり焼いたものだという。
一切れ、Tさん手作りのブルーベリー・ジャムを付けて試食。素朴だがおいしい。
そば粉が余っているので作ってみたらしい。ひと晩寝かせないとふんわりしないで固くてダメだという。なるほど、近日中に真似してみよう。
そういえば、Tさんの娘さんが赤いルバーブジャムなら欲しいけれど、緑色のなら要らないと言ったという。今月後半にはかなり茎が赤くなるのでジャム用にTさんにあげよう。Tさんならジャムでも何でも作れますので。

Tさん宅からの帰路、すぐ近くの菜園のT在来を見回り。草丈2mで倒伏しつつも、まだ花盛り。
やはり野菜の跡地でチッソ分が大量に残っているのは、そば栽培には最大のマイナス要因だろう。とりあえず来年度用の種子さえ確保できればよしとしよう。


黒化はしていないが、緑白色の実は確認できるようになって来たので、まったく収穫できないわけではなさそう。

次は別の場所のビニールハウス内のK在来。ハウス内なのでミツバチなど昆虫の訪問が少ないような気もするし、温度も外よりやや高めだろうことがマイナス要因として考えられる。

こちらは少し黒い実が見えはじめているが、受粉しないまま枯れた花もあり、花びらの中から緑白色の若い実が口を尖らせて顔を出しているものもあり、面白い。ひとつの花房のなかでもこれだけ時間差がある。これも種子確保だけで十分。

2011年10月9日日曜日

画期的方法

連日、ソバ刈りと稲刈りに追われて疲労の極致。昨日、今日は妻の実家のお手伝い。留守中、妻はひとりでソバ畑に行き、5通り近くを手刈りしたという。ということは、あと8通りで大面積のN原の刈り取りが終了となる。残るは花園2号地(宅地二区画分)のN在来。T在来とK在来は採種用で小面積なので問題ない。
問題は脱穀だが、昨年までTさん指導の下で行ってきたブルーシートの上に積んで棒で叩くという縄文、弥生時代からの方法はある程度の人手を必要とし応援無しでは不可能なので、好天が続いていることだし、稲を脱穀する自走式ハーべスターでの脱穀をテストしてみることにする。これだったら、ひとりふたりでもできる。ただし乾燥がよくて機械の網や繰上げ装置がソバの茎や葉で詰まらないことが絶対条件となる。生乾きだとおそらく詰まる。よく乾燥している状態ならOKだろうから、ものは試しでやってみようと思う。

それから、石臼の目立ての方法について、ネット上のあるブログ記事でミニルーター用のダイヤモンドカッターを使うという画期的方法を発見。ディスク・グラインダー用のダイヤモンドカッターでは厚みが2mmとかあって、主溝や副溝を彫るのには使えても、その主溝や副溝の間の山というか丘の細かい溝をつけて、いわゆるドレッシングするのには使えなかった。しかしミニルーター用のダイヤモンドカッターは直径は20mmとか25mmだが、厚みは0,6mmという薄さなので、石臼の目を立てるのに使えそうである。石工職人さんが両刃タタキで繊細な溝を刻んだのを、電動工具の先端部品で出来るのであれば、まさに画期的である。

2011年10月7日金曜日

広すぎるソバ畑

霜害でソバの葉がだいぶ落ちてしまい、また黒化率も70%以上になってしまいましたので、予定より一週間早いですが、ソバ刈りをはじめました。お手伝いは1名のみ。ふたりで夕方までに西半分を刈りました。驚異的ですが、ふたりとも夜は腰に湿布を貼って早めに就寝しました。
これで一年間、何か事あるごとに「ソバ刈り手伝ったでしょ」と威張られそうです。
来年はこんな無謀なソバ栽培はやめて、自分が食べるだけにします(泣)。