しろうとが、ああだこうだと、いろいろ愚行錯誤(!?)しております。

2015年2月15日日曜日

さよなら三角、また来て四角

ソバは同じ畑でも場所によって生育や実のつき方、収量、風味、みな異なるし、その年、その年の天候によっても異なる。
また同じ玄ソバでもいつ刈り取ったか、どのように乾燥させたか、どのように保管管理したかで異なってくる。
産地が同じで品種も同じであっても畑ごとに食感や風味は異なってくる。
さらに同じ玄ソバでも碾き方、先ずは「玄碾き」か「まるぬき」かによって異なってくるし、石臼の回転速度や落とし込みの量によっても異なって来る。
粒度分布でも異なって来るし、歩留まりをどれくらいにするか(篩はどれくらいの目にするか)でも異なって来る。
その上、つなぎを加えるか、生粉か、加水はどれくらいか、どのような水回しをし、どこで水回しを切り上げて捏ねに入るか、でも異なって来る。
同じそば粉を使ったとしても、加水を控えて捏ねを重視する江戸風の蕎麦打ちと、そば粉が欲しいだけ必要十分な加水をする生粉打ちとでは、加水率自体が5%から10%も異なって来る。
さらに、どれくらいの厚みでどれくらいの幅で切るか、茹で時間は何十秒か。茹でてすぐに食べるか、ちょいと時間を置くかでも異なってくる。

ああ、面倒臭い。
蕎麦というのはそば粉と水だけで実にシンプルな食べ物でありながら、何とも複雑で厄介な食べ物です。
シンプルゆえにごまかしがまったく通用しない。
こういうことを書くと、鬱陶しい「薀蓄」と思われてしまうので、この場所ではあまり書かない方がいい。
さよなら三角、また来て四角。

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