しろうとが、ああだこうだと、いろいろ愚行錯誤(!?)しております。

2011年9月4日日曜日

そんな完璧主義は無理ですけど

気温30度以上の暑い日に氷水でキュッとしめた蕎麦を食べたいと思って、7月、8月に3回蕎麦を打って3回とも失敗した。そんなに加水を多くした覚えは無いのだが柔らかすぎで、すっかり自信喪失したままだった。
だいたい、何が下手といって、ソバを栽培することより、玄ソバを製粉することより、何より蕎麦打ちが下手なのは自覚していたが、延すことが出来ないソバの固まりを捨てる屈辱というもの、結構大きい。舌を噛むか首を吊って死んでしまいたいくらいでありますが、今日はたまたま妻も母も外出して誰もいないので、恥かきついでにもう一度、播種して余った信濃1号を電動石臼で製粉し、粗碾きだと失敗するに決まっているので80目で篩った粉で打ってみた。それも加水は40%を一気に加水し、以後は数回に分けてチビチビ加水。最終的には多分45%くらいだがそれでもちょっと柔らかかったので、夏の蕎麦打ちの怖さを実感。
一応は切れずにコシのある蕎麦になりました。
辛い大根が無いのが切なかったですし、玄ソバの保管もいい加減だったので新蕎麦ほどの香り、風味は望めませんが、真夏の蕎麦としては先ず先ずこんなものではないでしょうか。
水回しの時にぷーんと香り立つ新蕎麦が待ち遠しいですが、そのためには刈り取り適期を逸しないこと、乾燥しすぎないこと、上手に製粉すること。
そういえば、手打そばの神様みたいなひとの本に「甘皮の果たす大事な役割」という段落があるのですが、私がそば粉の製粉でいちばん知りたいことが「私流の奥の手を加えて」とだけ書かれ、その実際が明かされていないのです。ご本人もここで3回「私流の奥の手」という言葉を繰り返したことの言い訳をこの段落の終わりで言われていますので、まあ、この先は自分で考え、試みてみなさいということなのでしょう。

もうひとつ、「どの程度まで」粉にするかというのは、歩留まりの問題である。甘皮はタンパク質を主成分としているが、繊維質も含んでいる。そこで、ほとんど粉にしてしまった場合は口あたり、歯ざわりが悪くなり、かつ、腹が張って消化に手間取ることになる。また、へたの目くそとも言うべき部分、一般に気がつかぬ部分が砕けて、粉が茶色になり、ホシも増えて食味を殺ぐ。
ともかく、甘皮を望ましい形で粉にすることはたいへんな難問である。
そして結局は石臼で手碾きして望ましい粉を得られていることを書いて、この段落を締めくくられています。
そういえば、今年になってようやく古い在来の石臼を電動化して粉に碾くことを始めた私のいちばんの実感は、石臼碾きのそば粉は素敵にふわふしているということでした。同じ60目なり80目の篩いで篩っているのですから、石臼碾きであれ、製粉会社のロール碾きであれ、金臼式の簡易製粉機であれ同じはずなのですが、実際に石臼でゆっくり1分間に15回転くらいで碾いたそば粉はふんわりしてたっぷり空気をふくんでおり、しかもその微粒子同志が両手をつないでスクラムを組んでいるようにさえ思え、ロール碾きや金臼で製粉された粉とは明らかに異なる、「至上のそば粉」のようにさえ思えて来るのです。
それも多分、種を播かれた時から刈り取り、脱穀、乾燥、そして製粉、蕎麦打ち、そのすべての工程が完璧になされて……そんな完璧主義無理ですけど……。

0 件のコメント:

コメントを投稿