しろうとが、ああだこうだと、いろいろ愚行錯誤(!?)しております。

2012年2月26日日曜日

自分の勘で測って近づいてゆく

製粉の仕方について再考させられ、目からうろこが何枚も落ちる事態が発生した。
これまで、粗碾きでなく微粉であっても、ある程度甘皮を碾きこめば風味のある蕎麦になると甘く考えていたのだが、どうもそうではないらしい。
つまり、蕎麦の風味、ことに香りは一種の揮発性のエーテルのようなものであるから、微粉にすればするほど、製粉した時点から香り成分は揮発して失われてしまう。
(だからこそ、「碾きたて」が重要視されて来たのだった!!)
(そういえば、蕎麦を栽培した一年目に製粉会社に製粉を委託で出して戻ってきたそば粉が、妙に色が白くて粒子が細かくて、蕎麦打ち未熟な自分でもあっさり十割でつながったのだけど、何とも風味の薄い蕎麦で、一瞬中国産のそば粉とすり替えられたかと思ったくらいだったし、それで「これではどんなに苦心してソバを栽培しても、製粉も自分でしなければ意味が無い」と考え、自家製粉というドン・キ・ホーテ的行動に突っ走ったのだった)
他方、粗碾きはといえば、内層のデンプン質はあっさり微粉になってしまうが、風味成分の多い外層の甘皮部分は細かくなりにくい。そのために風味成分は粗い粒子のなかに封じ込められ、温存されているのだ。
だから、粗碾きのそば粉で打たれた蕎麦は味も香りもくっきりと濃くなる。
そう思い至れば、現在、最前衛を走っているプロ・アマの打ち手がこぞって「粗碾き」にこだわるのも十分どころか十二分に腑に落ちる。

などと類推しながら、ここ数日、石臼に関する本を再読するのと超粗碾きのそば粉の打ち方についての検索を続けた。
すると40目のふるいが欲しくなった。前回30目を買った時に40目にするか30目にするか迷った挙句に30目にしたのだったが、やはり40目も必要な気がする。40目は径の小さいものは自家製粉を始めた時に購入してあることはあるのだが、これは蕎麦を打つ前にソバ粉を篩うために使っていて、製粉にはやはりもっと径の大きいものが必要。近いうちに40目の尺二寸を買って来よう。

現有のふるいは、100目、80目、60目、40目(8寸)、30目だが、今になって判ったことは、100目、80目のような細かいふるいは不要だったということ。
石臼で碾くと細かいのから粗いのまで分布が広いので、細かいふるいで篩うのは意味が無いというか、そば粉は粒子が細かければ細かいほど風味が薄くなるということが身にしみて体感出来た。

理想は、先に雑味や色黒の原因であるそば殻を徹底的に排除しておいて、それから石臼にかける。それをふるいにかけて、二度碾き、三度碾きしなくて済むような、石臼一回碾きのそば粉。それも粗くても30目のふるいにかける必要がない程度に。
実にアバウトな出来の石臼であるし、理科系ではないから正確な投入量の制御は不可能で、となるとそれは自分の勘で測って近づいてゆくほかないのだけれど。

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